現在若者の間で退職代行サービスが活況とのことです。
とある退職代行会社ではGW明けで数百件のサービス申し込みがあり、社員の数に対して事務処理が追いつかない状況。ほんの数年前に退職代行サービスが出てきたときは「こんなものが流行るのだろうか」と世間は懐疑的な目を向けていましたが、今では退職代行会社も80社以上に増えるなど退職代行サービスも一般的なものになりつつあります。
僕が新卒の頃は当然のごとく退職代行サービスもありませんでしたし、残業45時間規制施行前夜でしたので働きたい放題といいますか、「若手はハードに残業してギリギリまで追い込まれてナンボ」といった気運がありました。なので実際に仕事を辞めようにも周りの目が厳しく、辞めるに辞めれなかったのです。
最近知ったことですが、Twitterを始めとするSNSではプロフィールに「○○(年)卒」と書き、大学の同じ卒業年度の者同士でつながって情報交換をするカルチャーがあるそうです。そこでは利用した退職代行サービスの情報や退職後にすべきことなどをシェアして、退職に対するハードルを大いに下げているとのこと。こうすることでブラック企業で心身を消耗している若者がひとりでも早くそこから逃げ出せるようになることはとても良いことです。
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が、そんな状況を見て僕は敢えて言いますが、自分が新卒のときにSNSを本格的にやってなくて本当に良かったなと思います。
このブログで何度もお伝えしていますが、僕自身新卒の頃はサービス残業を100時間以上こなすブラック企業に勤めておりましてて、仕事は憂鬱で毎朝「今乗ってる電車、事故ってくれないかな」などと思っていました。それでもやっぱりあの新卒3年間が今の礎となっていると、ことあるごとに痛感します。
自分はFラン大学出身で、大学からの紹介でとりあえず中小のIT企業に事務職で入社したものの、目の前の仕事はまったく興味がない。その上事務職の割に無駄に難易度が高く、新卒初年度はほぼ毎日怒られていたのをよく覚えています。仕事を教えてもらおうと上司に相談に行っても「お前は何が聞きたいのかわからない」と一蹴。「(いや、何がわからないかわからないから困っているのですが…)」と思いつつ胃をキリキリさせていました。
それでも「Fラン大学出身で何のスキルのない自分が3年以内で辞めてしまったら他に行くところなどどこにもない」と歯を食いしばって続けてみれば、やっぱり自分でできることってどんどん増えていくんですよね。最初はあれだけ興味の持てなかった事務の仕事も自分で業務を回せるようになってみればそれなりに楽しくなっていきました。
- 最初は満足に出来なかった仕事でも続けていけばできるようになる
- 興味のない仕事でも自分で回せるようになれば楽しくなっていく
- 何の取り柄のない自分でも3年も仕事を続けられた
このことは大きな自信となりました。
こうして事務職を3年続けた後、20代後半でITエンジニアに転身するわけですが、ここでもやっぱり僕は「新卒で3年きっちり仕事をしておいてよかった」と痛感します。
というのもFラン大学文系学部出身の自分からすると20代後半でプログラミングに挑戦するなど鬼門中の鬼門なわけですが、新卒で就いた3年の経験があったおかげで「最初は分からなくてもそのうちできるようになるだろう」という自信が持てたのです。それに社会人経験を積んでいるおかげで会社におけるビジネスパーソンとしての立ち回りは一通りできるようになっているわけですから、プログラミングの業務に集中できたのは大きかった。これがもし新卒でIT業界に入っていたら「社会人としての立ち回り」×「プログラミング」と両方を覚えないといけないわけですから、きっと僕は潰れていたと思います。
もちろん僕の話はあくまでブラック企業をたまたま生き残れた生存者バイアスでモノを語っていると差っ引いて聞いてもらえばいいのですが、やっぱり新卒は基本的には3年は頑張ってほしいなーと思います。もちろん心身を壊してしまうような劣悪な環境なら今すぐ逃げ出すべきではあるのですが。
自身が勉強系アカウントとして活動していることもあって、たまに新卒で早期離職している方を見かけるものの、そういった人が後に「あのときさっさと会社辞めてよかったわ! 今はおかげさまでバリバリ働いています!」となっているのはほとんど見たことがありません。多くの場合が短期離職を繰り返したり、そのままズルズルと無職を継続してしまっているように思えます。
というのも一度でも早期離職してしまうとその後仕事で何か辛いことがあるたびに自分の目の前に選択肢として「退職する」というコマンドが現れてしまうのです。目の前に「退職する」という楽ができるコマンドが現れてもそれを跳ね除けて「辛いけど続ける」コマンドを敢えて選べる人間はそういません。
「とりあえず3年」という言葉は今では日本の悪しき文化の象徴のように取り上げられることが多いですが、でもこの言葉や慣習で救われた人間は多いのではないでしょうか。自分のやり事が100%やれるような環境などどこにでもないでしょうし、大学を卒業したばかりで秀でたスキルを持っている人間などほとんどいないはずです。それでも「嫌だなぁ」「めんどくさいなぁ」と思いつつもなんとなく仕事を続けていればスキルも身につき役職もついて、それなりの生活を送れるようになるものだと思うのです。
選択肢が増えれば増えるほど人は幸せになれると一般的には思われていますが、選択肢は増えれば増えるほど「その選択肢を選ばない意志力」であったり「なぜその選択肢を選ばないのか」という説明が必要になります。そうなったときに「選択肢が増えて人は本当に幸せなのか?」と思うのです。