※当サイトではアフィリエイト広告を利用しています

考え方

「努力は才能」と認めた上で考える、努力を続けるための心理と方法

effort-and-talent_thumbnail

 最近飲みの場でよく聞かれることがあります。
 それは「どうやったら勉強やジム通いを継続できるか?」ということです。

 僕自身毎日1時間近い勉強を7年以上続けていますし、そのおかげで資格を7つも取ることができました。ジム通いもフィットネスジム4年・ボクシングジム3年とずっと継続して通っていますし、このブログも2018年から始まり最低月1本以上更新を頑なに守り続けています。出している実績はともかく、続けるということに関しては一家言持っていても問題ないでしょう。

 そして継続に関する質問を受けた際、僕は必ず「ガチ惚れしていたオンナに逃げられたら誰でもできるようになりますよ」と答えています。そうすると相手は毎回納得した顔をするし、「そうは言うけど、もともと努力の才能があったんだね~」と謙遜しつつそれ以上は聞いてこないのです。

 しかし自分で「オンナに逃げられれば誰でもできるようになる」と答えておきながら、これはちょっと正確ではありません。確かにガチ惚れしていたオンナに逃げられたのをキッカケに真面目に勉強するようにはなったけれども、要因はそれだけではないのです。勉強のキッカケ円グラフを作成したときに「項目:オンナに逃げられた」は一番大きいパーセンテージを占めるものの、要因は他にも無数にあります。けれどもそういった事情を真剣に話したところで場が白けるだけだし、そもそもそんな回答誰も求めていないのです。だから僕は相手が毎回納得してくれる「オンナに逃げられた」カードを切っているのです。

努力は才能の一つである

 実際、努力(=物事を継続できる)かどうかは才能だと思います。

 才能という二文字にしてしまうと語弊が生まれそうですが、遺伝であったり育った家庭環境、それまでに遭遇したイベントなど、本人にとってアンコントローラブルな要因にもかなり左右されてしまうと思うのです。

 やる気があってもなぜか机に向かえないことは往々にしてあって、勉強にやりがいを感じる人もいればスポーツにやりがいを感じる人もいる。それと同様テレビゲームにやりがいを感じる人もいます。僕はテレビゲームだと最近では1時間もやると疲労を感じ、物理的にそれ以上続けられなくなってしまうのです。だから僕からするとゲームを続けられるというのはある種才能だと思います。

 ところがいかんせん、2024年現在ではテレビゲームをやることはまだまだ努力するとはみなされてはいません。でも例えば今僕が仕事としてやっているソフトウェア開発(プログラミング)は今でこそ一大産業として社会的地位も高くなっていますが、わずか100年前の人が現代のソフトウェアエンジニアたちを見たら「こいつら何をやってるんだ?」と思われるだけです。人それぞれ向き不向きがある以上、努力できるのも紛れもなく才能の一つだと思います。

 とはいえ、いわゆる努力をしている人間からすると「努力は才能」だなんて言われたらたまったもんじゃないですよね。仮に努力が才能だとしても、その努力をしている人間が感じる"しんどさ"は嘘偽りなく本当なのですから。それに「努力は才能」と言って何もやろうとしない人間を見るのは腹立たしくなってしまうのが人情というものです。

 

何が人を努力に駆り立てるのか

 努力が才能の一つだとしても、どうやったら人は努力の才能が開花するのだろうか? 僕は最近そんなことをよく考えます。

 自分も20代中盤ぐらいまでは「恩人が死んだり、好きな人にフラれるような、大きなイベントが起きれば努力できる人間になれるのに、そういったイベントが起きないから努力できないのだ」と真剣に思っていました。ただ今になって思うのは仮に当時自分に大きなイベントが降り掛かってきたとしても、おそらく努力できる人間にはなっていなかったろうなと思います。

 ここに良いサンプルがあります。

(上記キャプチャはすべてhttps://twitter.com/qvami10446より引用)

 最近僕が注目してタイムラインを追っている『就活なにもしてない』氏。
 彼は本当は23年卒であったのですが就活を全くしておらず、休学をして卒業を1年遅らせます。しかし卒業を遅らせても就活は満足にしておらず、卒業間近の3月に滑り込みで企業から内定が出ます。ところが就職からわずか数週間で退職。その後数ヶ月のニート期間を挟みながらも7月に別の企業から内定が出て、再び社会人に。ここでもまさかの出社初日に寝坊をし、担当者から「もう来なくていい」と言われます。翌日は始発に乗って出社しやる気をアピールするものの、うまくいかなかったようですぐに退社。Twitterでの周りからのアドバイスを受け、一旦はバイトを決意するも、数日後には「バイトは嫌」と言い出してしまいます。

 それとは対照的なのが「4630万円持ち逃げ男」こと田口翔氏です。

effort-and-talent_19

(上記キャプチャはすべてhttps://twitter.com/taguchi_shoより引用)

 彼は2022年に村の住人全員に均等に配れるはずだった4630万円が誤って一括で自身の口座に振り込まれ、役場から返還を求められるもののオンラインカジノで一瞬にして溶かしてしまいます。その後警察によって逮捕され、弁護士のつながりからYouTuberであるヒカル氏に保釈金を立て替えてもらい、釈放後はヒカル氏の出資する会社に就職します。担当業務がWebマーケティング/デザインということもあり、当初はPCの使い方から勉強を始め、仕事の様子も熱心にTwitterで発信します。多少の弱音は吐きつつも、愚痴をこぼす事なく仕事/勉強を続け、いまやそれなりのクオリティでアウトプットが出るようになっています。

 田口氏は個人アカウントの体をとってはいるものの、実質的には会社アカウントのようなもので、どこまで会社に管理されているかわかりませんが、少なくとも発信されている情報だけを汲み取る限り社会に対する拗ねのようなものはなく愚直に仕事をこなしています。

 就活なにもしてない氏も田口氏もほぼ同い年です。
 この二人の違いは何なのか。

 二人に直接会って話をしたわけでもなく、結局のところ正確なものは分かりませんが、恐らくは「逃げ道などないと悟っているか」の違いなんだと思います。

 田口氏は高校中退で、特に定職に就くわけでもなく、ギャンブルにもハマりどん底の生活を長らく続けていたとのこと。そんなときに4630万円もの大金が振り込まれます。それもオンラインカジノに費やしてしまい、いよいよ「一発逆転なんてないんだな」と悟ったんだと思います。

 何を隠そう僕も20代前半までは就活なにもしてない氏と同じような行動をしていました。頭ではやろうやろうと思いつつも、結局何も行動できない。常に「あの時からやっておけば…」と思うのですが、結局何も行動できない。苦しいことから逃げる言い訳だけは一丁前でした。

 でもそんな自分が変わったのは、今まで散々言い訳して嫌なことから逃げ回った挙げ句、それでも逃げ切ることはできず、オンナにフラレたのを機に「もう逃げ道なんてないんだな。これは真正面から努力して自分のスペックを変えないとダメなんだな」と悟ったときでした。

 

そもそも努力はできないのが当たり前という認識を持つ

 世の中は「努力は誰でもできる」と喧伝し過ぎです。

 人は基本的に「食う・寝る・スケベ」に直結すること以外はモチベが上がらない仕組みになっているのです。考えてほしいのですが、例えばこれが原始時代だったら、狩りに出ようともせず洞穴で延々と壁にガリガリ数式を書いて悦に浸っている人間がいれば速攻で死んでいたでしょう。狩り以外にスポーツなんかに勤しんでカロリーを無駄に減らす人間がいたら、やはりそれも遅かれ早かれ死んでしまうでしょう。だから現代においても、これが今後どう役に立つかわからない学校の勉強などをガリガリとやれるほうがおかしいのです。

 「努力は誰でもできる」と公言されているからこそできない自分に幻滅するのであり、「努力は才能」と認めたうえで、それをどうやったらできるようになるだろうとアプローチしたほうがよほど建設的です。

 このブログでも定期的に勉強記録をアップしているので自分の心の変化は詳細に覚えているのですが、努力(物事を継続)できる人間になるためには「努力すると自分の生活が楽になる」という成功体験を早く積むことが重要です。自分の人生のひとつの転換期になったのはFP3級に合格したときなのですが、FP3級は100時間程度の勉強で取得できるしその難易度の低さからネットではやや低く見られがちですが、これが合格できるぐらいの学力があればニュースで言っている内容はほぼ理解できるようになるのです。それになんとなく複雑怪奇に思える税制や社会保障の仕組みもザックリと理解でき、世の中の解像度が大幅に上がって生きやすくなったのです。

 努力と成果が直線でつながる/つながった感覚がないと物事を継続するのは非常に難しいだろうなと思います。新たに物事を始めようとする人は往々にして今までの負け分を取り返すために無茶な目標を設定しがちです。ですがまずは数ヶ月で達成でき、自分の生活が楽になるようなことをやるべきなのです。FP3級や簿記3級はそういった意味で難易度も絶妙ですし、どんな試験なのかが世間に周知されているので取得できた際は「へぇ頑張ったじゃん」と言ってもらえるのでオススメです。こういった「やりさえすれば確実にできること」を徐々に積み重ねていくしかないのです。

★★★★★

 僕自身Fラン大学出身で、昔はやる気だけはあるものの行動が全く追いつかず非常に苦しい思いをしてきました。だからこそ同じ思いを抱える人に有益なアドバイスができたらと思うんですよね。

 やはり幼少期にうまいこと成功体験を積めなくて、それこそ周りの環境が良くなくて努力したことをバカにされてきた人って結構なハンデになってしまうんですよ。努力を怠りたいわけでなくても、そういった負の遺産を自分一人で解決することはなかなか難しくて、そこに対して「努力は誰だってできる! お前は単に怠けているだけだ!!」と発破かけてみたって事態は好転なんかするわけないんですよ。

 だからこそ僕は「努力は才能のひとつです」と断言するし、そこから「ならどうやって努力をしていくか」を考えてほしいなと思っています。



-考え方

© 2024 名古屋とエンジニアリング