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テレビ

『中田敦彦のしくじり武勇伝』は行動することの大切さを教えてくれる至高の教科書だ

 お笑いコンビ・オリエンタルラジオの中田敦彦と言えばこの浮き沈みの激しい芸能界において「武勇伝」「PERFECT HUMAN」「YouTube大学」と三度に渡りヒット作を生み出した芸人である。

 そんな彼が2020年07月11日に公開した自分の半生について語る『【中田敦彦のしくじり武勇伝】人は何者にでもなれる、いつからでも。』は2時間24分にも及ぶ長尺の動画でありながら、公開1週間で100万再生を突破し、現在もなお数字を伸ばしている。

 この動画ではいかにして自分がヒット作を生み出したかについて言及し、それでいて世間的には緻密な計算のもとに仕掛けたと思われているこれらの作品が、実はどれほど行きあたりばったりで行動した末に生み出された偶然の産物であるかを告白している。そしてその先に見えてくるのが

試行するということが、いかに大切であるか

 ということである。

 今日はこの動画について記事を書いていきたいと思う。

武勇伝

 慶應大学在学中からアマチュアのお笑いコンビとして活動をしていた中田は、素人ながら観客からまずまずの反応を得るも、プロになる気は毛頭なかった相方に解散を告げられその道を諦めていた。大学に居場所がなく、特にやりたいこともなかったことから父親のコネで入ったバイトにのめり込むが、そこで一人の男と出会う。それが後にお笑いコンビ・オリエンタルラジオとして相方になる藤森慎吾である。

 藤森は特にお笑いに興味もなく「何でもいいから芸能界に入りたい」というシンプルなチャラ男であった。中田が実はお笑いをやっていたことを知った藤森は、自身はお笑いにほとんど触れたことがなかったにもかかわらず、絶対に売れるからと言ってお笑いコンビ結成をもちかけた。すぐに売れることはないと中田は結成に難色を示すものの、結局は折れ、一緒に吉本の養成所NSCに入学することになる。

 当時はお笑いブームということもあり、NSCには数百人の生徒がいたが、そのほとんどはまともにお笑いを理解していなかった。ましてやNSCの授業も歌やダンスなど、おおよそお笑いに関係のあるものではなく、中田はほとんどをサボった。片や相方の藤森は「やれることはやる」と言ってすべて出席した。

 とはいえ、ネタ見せの授業だけは意味があると思い積極的に参加した。いくつかネタを披露し講師からも割と好意的な反応をもらうも「このままではダメだ。抜きん出れない」と焦りが募った。そんなときに藤森が「これ面白いんじゃない?」と見つけたのがアマチュア時代に作ったネタだった。それは100本ネタがある中で15位ぐらいの代物で、一人が武勇伝を言ったら相方が褒めるというだけのネタ。特に漫才に対して厳しい養成所の講師が、こんな色物を受け入れるとは到底思えなかった。

 ネタ見せの講師はTV局の構成作家をやっている人間で特に厳しいことで有名だった。まず生徒のネタを見ない。面白くなければ手元のペットボトルに書いてある文字を読み始め「お前のネタはこのペットボトルの裏の文字よりつまらんぞ」と威圧するのだ。
 緊張しながらもその講師の前でネタを披露する。するとペットボトルを持つ手が止まり、じっとこちらを見る。

 「・・・これ、なんかいけるかもしれんぞ。なんとかしてみろ」

 ネタ見せで披露していた武勇伝は現在のようなリズムネタではなく、お互いが素で喋るシステムだった。ボケで武勇伝を語る中田に対し、ツッコミならぬ合いの手を入れる藤森は練習を重ねるうちに慣れが生まれ、徐々にリズミカルになっていってしまったのだ。真面目な漫才をやりたかった中田としてはそんな藤森を良く感じてはいなかったが、注意しても治らなかったためそのままネタ見せに持っていき、「(これは講師に怒られるぞ)」と思っていた。

 「今日も俺の伝説聞いてくれ」
 「そうなのそうなの聞かせてYo!!」

 「なるほど、そうなったか。一つ気になったんだけど・・・中田くん、なんでリズム悪いの?」

 えっ、俺? 俺が悪いのか?

 「ヒップホップみたいにしたらええやないか」

 その言葉に従い、中田もリズムに乗りながらセリフを喋ることにした。だが、二人が同時にリズミカルにセリフを喋ると息継ぎする暇がなく、途中で酸欠になってしまう。そこで「武勇伝! 武勇伝!」というブリッジを挟むことにした。

 「リズムネタやるのに『ど~も~!』で登場してきたらなんか変やろ」

 そこから登場するときに「デンデンデンデン」と言いながら入ってくることにした。

 

 遂に武勇伝が完成するのである。

 

 「お前ら今年No.1や! 必ずM-1準決勝まで行くわ!!」

 その言葉通り、その年のM-1には準決勝まで行くもそこで敗退してしまう。だが敗者復活戦には青田買いのテレビ局関係者が勢揃いしていた。そこでオリエンタルラジオの才能を買ったのがエンタの神様だった。

 

 こうしてエンタの神様に出演しネタを披露することで、オリエンタルラジオはまたたく間にスターダムを駆け上がるのである。

 

PERFECT HUMAN

 エンタの神様出演をきっかけに一躍スターダムにのし上がったオリエンタルラジオは自身の冠番組を含むレギュラー10本が決まる。しかし、ブレイクしてからわずか3年でレギュラーのほとんどが終わってしまったのである。デビューから冠番組を持つまでの期間は吉本最速であったが、それがすべて打ちきりになるのは吉本初だった。

 ブレイク時は寝れない生活が続き、そもそも下積みがないため同じお笑い芸人との距離感もお客さんとの距離感も全く分らなかった。精神的にも追い詰められ、収録中カメラマンからカメラを奪ってみたり、お客さんにキレてみたり、ラジオの生放送中に相方と殴り合いを始める始末。吉本史上最大の失敗作として遂には会社からも見放されてしまった。

 そこから二人は若手らしくどんな企画にも挑戦した。中田はインテリキャラとしてクイズ番組にも出演し比較的使いやすかったが、藤森はどう扱ってよいか分らず使い所がなかった。それゆえ藤森はいつも先輩芸人と飲み歩いていた。「藤森、あいつは一体何をやっているんだ?」と周りからも揶揄され始めた時、ある出来事が起こる。

 2011年・藤森チャラ男ブームだ。

 藤森は先輩と飲み歩くうちに培った宴会芸が花開き、チャラ男として一躍時の人となった。そのおかげで新たにレギュラーなども決まり、どん底にあったオリエンタルラジオとしてはありがたい限りだったが、舞い込んでくる仕事がどれも藤森のバーター的な扱いで、中田としては忸怩たる思いだった。

 そこからオリエンタルラジオとしては仕事も安定し、中田は結婚をした。まもなく子供も生まれたが、当時はロケ仕事が多く、休みはほとんどなく家に帰っても何もできない日々が続いた。
 その中でふと思った。俺は何のためにお笑い芸人になったんだっけ。そうだ、俺、ダウンタウンさんやとんねるずさんみたいなお笑いスターになりたかったんだよな。野猿とかH jungle with Tのような、お笑い芸人でありながらアーティストにもなりたいなと思った。もちろんお笑い芸人もライブでお客さんを相手にするが、それも400~500人。アーティストになれば1万人を相手にする。それがカッコよかった。

 そんな思いを抱える中、ある時オリエンタルラジオがMCを務める音楽番組にブレイク前の三代目J SOUL BROTHERSがゲストとしてやってきた。今度の新曲は『R.Y.U.S.E.I.』という曲で、ダンスはこのようになって・・・と披露し、その後彼らはまたたく間に大ブレイクする。

 これだ! 俺もやりたい!!

 ここで中田はダンサーをやっている弟に連絡した。三代目J SOUL BROTHERSをやりたいからメンバーを集めてくれと伝え、とにかくパフォーマーを4人集めてもらった。そして中田と藤森が歌うという三代目シフトを組んだ。

 ところがこれがうまく行かない。中田の歌がハマらないのだ。レコーディングをしていても藤森が歌う時はプロデューサーの反応もいいが、中田が歌い始めると芳しくない。三代目がうまくいっているのはボーカルの二人が抜群に歌がうまいからなのだ。
 中田が言い始めて集まったこのグループ。ダンサーはうまい。藤森の歌もうまい。だが肝心の中田が踊れなくて歌えてない。三代目J SOUL BROTHERSをやりたいと思っているのは中田だけだったが、その中田が一番いらない人間だったのだ。さぁ、どうする。

 「みんな、集まってくれ。状況を整理しよう。俺は歌えなくて踊れない。・・・でも俺のことを歌っている歌はどうだろう。藤森が歌っている横で俺がいたら邪魔だろ? だけど藤森が歌ってる歌が俺のことなら本人がここにいるってなるだろう。そいつがこいつっていう意味になる。でも出落ちだからずっといたら飽きるよな。だからサビになるまでは隠れてる。それで『サビが来ました』ってなったら交代してくれ。俺が出るから。でもサビは長いから『なんでこいつ出てきたんだっけ?』ってなるよな。だからサビの間中、俺の名前を呼んでてくれ」

 こうして『PERFECT HUMAN』の楽曲が誕生するが、問題は披露する場所だった。自分たちの音楽番組を持っていなかったのでなんとか人の番組でやらなくてはいけない。

 そこで当時『ENGEIグランドスラム』というネタ見せ番組に持っていくことにしたが、プロデューサーからは10年ぶりの武勇伝をやってくれるよう頼まれてしまった。
 中田としてはここで『PERFECT HUMAN』を見せれなかったらおしまいということでプロデューサーと押し問答になったが、前半に武勇伝をやるということでなんとか押し切ることに成功した。

 『PERFECT HUMAN』を披露した『ENGEIグランドスラム』がオンエアーされる当日、中田は家族と旅行に出ていたが、放送直後からオファーの電話が鳴り止まず、遂に2005年の武勇伝に続く二度目のブームを巻き起こす。

 

 その後、年末まで絶えず新曲や世間に話題を提供し続けることで念願の紅白出場を果たすのである。

 

中田敦彦YouTube大学

 『PERFECT HUMAN』で三度目のブレイクを果たし、仕事も更に順調に進んでいくかと思いきや、そうはならなかった。

 当時ニュース番組のコメンテーターを務めており、スタッフからの要望もあり、とにかく多方面に辛口コメントをしていたのだ。自身のコメントによりネットニュースに取り上げられ、その場の視聴率は上がるものの、この辛口コメントはとにかく敵を作った。同じ芸人仲間からも嫌われ始め、やがてそれは「このままでは俺はいつか干されるかもしれない」という恐怖へと変化した。タレントはあくまでも呼ばれる立場だ。それが製作者サイドから不要だと言われてしまえばそれで終わってしまう。その時から胃が痛くて仕方なかった。
 何よりも心の拠り所として存在していた『しくじり先生』が終わったことも大きかった。『しくじり先生』は芸人が1時間ひとりしゃべりをするという珍しい番組で、中田はそこに何度も呼ばれていた。自身のしくじりを話すだけでなく、歴史や文学なども紹介し、自分の能力が最大限発揮できる場所だった。それすらも2017年に終わるのだ。

 そこから自分の人生について考え直し「お金を稼げる人間にならないといけない」と思うようになった。なんでもいい、まだやれることはあるはずだ。そこで思い出したのは『PERFECT HUMAN』をやっていたときに展開していた物販だった。

 自分で稼げるようになるため物販を始めることにした中田は、どうせいつか干されるならと先んじてレギュラー番組を卒業した。そして講演会を開いては、会社に頼らず自分の手で業者に発注して作ったノートを売ってみることにした。

 しかしこれが売れない。当然のことながらコストが高く、コンビニで売っているノートのほうが安かったからだ。そしてなにより、なんで講演会に来てノートを買わなくてはいけないのか、そこの必要性がなかった。これではいけないと自分自身が宣伝を積極的に行ったところ、ある程度の部数が売れた。このとき中田は「どうやらお客さんはノートが必要だから買ったのではなく、俺を応援してくれたから買ってくれたようだ。俺を応援して買ってくれるという正しいかどうか検証するために、今度は意味がないものを売ろう」と考えた。

 続いて売り始めたのはお守りだった。お守りはみんな機能ではなく意味で買う。ノートのような機能面で勝負する商品は大企業の作るものに勝てない。だからそれに対抗するには意味で勝負しないといけない。お守りは何の機能もないが、思い出になるから買われるのだ。
 講演会では勝負に出て2000個のお守りを販売した。なぜ自分が今物販をやっているか、そしてなぜ今自分がお守りを売ろうとしているかをお客さんに熱意を込めて話すことにより、なんとすべて完売するのである。

 物販に活路を見出した中田は、今度はアパレルブランドとしてTシャツの販売に着手する。そして時を同じくして野球のナイター中継がない半年限定でラジオのレギュラーが決まり、そこで自身の物販に対するストーリーをリスナーに何度も話すことでTシャツが爆発的に売れたのだ。

 だが、やはりここでも成功は続かない。当初の予定通り半年でラジオが終了になると、途端にTシャツは売れなくなった。他のブランドに比べて、なぜ自分のTシャツが売れるかと言うと、それは自分が芸能人でラジオを使ってお客さんに宣伝できたからである。芸能界から干されても大丈夫なように始めた物販も、自分が芸能界からいなくなってしまえば全く売れなくなってしまうのがなんとも言えない皮肉だった。ラジオで話すネタの一環として乃木坂に実店舗も構えてしまった。1着1000万円もするジャケットも作ってしまった。でもお客さんは全く来ない。中田はまた眠れない日々が続く。

 ラジオが終わり、テレビの仕事も無く、時間に余裕があった中田は当時出版していた『労働2.0』という本の販促のため、書店巡りをしていた。アパレルブランドが全く売れない中、なんとか現状を変える手はないかと考えていたところ、書店であることに気づく。それはメンタリストDaiGoの本が売れているということだ。
 DaiGoは一昔前には数多くテレビに露出していたものの、今ではメディアでほとんど見かけることもなく、テレビ業界的には「終わった人」の扱いだった。だが現在の彼の活動を見ていると主軸をYouTubeとニコニコ動画に軸足を置き、かなりいい暮らしをしているようだった。

 この時、中田の頭の中では同じ芸人であり、現在はYouTuberとして活躍するカジサックのアドバイスが頭をよぎった。
 中田はラジオをやっているときに「カジサックさんはYouTubeを頑張っている」という言い方をしてしまい「先輩に向かって『頑張ってる』とは何やねん!」と喧嘩になったのだ。結局すぐに和解することになるのだが、その和解の場面で教育系YouTuberになることを勧められる。
 そうだ、YouTuberになれば自分でメディアを持つことが出来る。YouTuberに俺はなるんだ。

 まずはDaiGoの真似をして『緊張せずに人前で話す』という動画を撮ろう。よし、緊張しない話し方で「さぁ、中田あtu―」ダメだ、「緊張しない話し方を申し上げ―」、「緊張しna」、俺が緊張してんじゃねぇか!
 動画を公開してみれば「声が反響して聴きづらい」というコメントがあったので次は公園で撮影をしてみた。「みなさんも成功したいですか?」、馬鹿野郎、俺が成功してねぇよ。公園でスマホで撮って何が成功だ。
 「人に嫌われる話し方3つ」、俺が嫌われてるんだ! 生意気だとか礼儀がなってないとか、俺が芸人から一番嫌われてるんだ!!

 何をやってもうまく行かず、話したいネタも尽きた。これでYouTuberになれるのだろうか。 

 とりあえずネタを探すために書店に行ってみたところ、あることを思い出した。面白そうな世界史の本があったのだ。中田は日本史と英語と小論文で慶應に入学しているので世界史のことが全くわからない。ニュースのコメンテーターをやっていたときも世界情勢が分らなかったのにコンプレックスがあったのだ。とりあえず世界史の本を読んでみると、これが面白い! 早速動画にしてみることにした。

 すると再生回数が急速に伸びた。「あれ、なんだこれ。伸びてるぞ、世界史だ! 世界史をやるんだ!!」。だが紹介した世界史のテキストはあと動画10本分の分量しか無い。そこから先はどうする? いや、何でもいいから喋るんだ。とにかく喋るんだよ。『しくじり先生』のときみたいに、世界史に限らず歴史や文学も紹介するんだ!!

 

 こうして中田敦彦は『武勇伝』『Perfect Human』、そしてYouTube大学と三度目のブームを起こすのである。

 

 以上が『【中田敦彦のしくじり武勇伝】人は何者にでもなれる、いつからでも。』の紹介となります。

 世間的には緻密な計算を元に仕掛けたと思われている『武勇伝』『PERFECT HUMAN』『YouTube大学』がいかに偶然の産物として世に出たかがよく分かりましたね。

 でもこれらはすべて中田さんが「まだやれることはある」と色んなことに挑戦したからこそ偶然が生まれ、そして成功できたのだと思います。

 YouTube本編はもっと驚きと学ぶことが詰まった面白い動画になっていますので、興味がある方はぜひご覧ください。

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