考え方

「日本は生き辛い社会である」と聞いた時に思うこと

 今の日本で殺人・強盗・セクハラ・パワハラ・過労死・人種差別など、社会を騒がす事件が起きると必ず叫ばれるのは

 「海外の先進国ではこんな事件は起きないが、それが起きる日本はおかしい」

 というもの。

 そこの事件から議論が白熱し、果てには壮絶な日本Disが繰り広げられます。

 

 そういった議論を見た時に僕はいつも思うことがあります。

 

 「それ、ほんとに日本特有の問題か?」

 

 

 確かに現代の日本でも度々先進国とは思えないような凄惨な事件は起こりますし、はたまた非常にレベルの低い事件も発生します。
 しかしながら日本は殺人事件の発生率だけを見ても非常に低い数字を出していますし、強盗だって日本全体でも2500件程度なのに対して、例えばアメリカであれば1つの州だけで平均7000件近く発生しています。セクハラ・パワハラにしたって世界的な大企業のCEOが部下に対してセクハラやパワハラを行っていた事実が発覚して、たびたびニュースになったりすることから、日本だけが陰湿なことをやっているわけでもないでしょう。

 もちろんこれらの事件というのは「日本としてこれからも改善しなくてはならない課題」ではあるのですけども、ネットを見ているとどうしても「日本は世界に比べて非常に劣悪な国である」かのような論調で語られることが多くあります。

 

 よく「世界に比べても日本は○○で××だから生き辛い国なんだ」と叫ばれることもありますが、そこには客観的に示されたデータもなければ、日本以外の国でビジターではなくネイティブと変わらないような生活を送った経験もない状態で語られても、空を切るばかりです。
 そういった日本の生き辛さを語る人は自分の中で「世界各国の良い部分だけを集めた自分だけの理想郷」を持ってしまっているために、常にそこと比較して生き辛さを感じてしまっているのです。

 

 そんなことを考えている最中、先日『ジモコロ』でこんな記事がアップされていました。

 

 この記事では日本とアメリカが対比されていましたが、僕が長年感じていた海外の国の陰と陽について書かれた秀逸な記事でした。

 この記事によると例えばアメリカでは年齢や性別関係なく働きやすいとのことですが、それは社員を簡単にクビにできるからで、ちょっとでも出来なかったらすぐ解雇してしまうのです。

 雇ってみて、仕事ができなかったらすぐクビにする。だから下手に社員を教育するよりも、とりあえず雇ってみてうまくいったらそのまま社員として残せばいいだけなので、「社員を育てる」という文化がない。

 よく「アメリカでは○○という素晴らしい仕組みが整備されている」と言われますが、その仕組みの裏側では必ず何かが犠牲になっているわけで、すべてがWin-Winになっている制度などないのです。

 

 さて、話は変わって数日前、こんな記事がネット上で評判を呼びました。

 

 内容としては、Xさんというとある人物がプロブロガーとして活躍するイケダハヤトさんに憧れ、彼の弟子になるべく高知に移住。しかし思うような結果が出ず持病の鬱が悪化。失意の中、高知を去るというお話です。

 記事全体の論調としてはイケダハヤトさんを厳しく批判するものですが、僕はこの記事の終盤に出てくるある一文に惹かれました。

 

実際、Twitterなどを見る限り現在のXさんの生活はラクではなさそうだが、移住についてXさん自身が後悔の念を漏らしているわけではないという。

 

  僕は記事を読んでいて、このXさんの気持ちが痛いほどよくわかりました。

 

 Xさんはいわゆる"意識高い系"だそうで、色々な学生団体に所属しながらもどこか要領が悪く、大学生活の後半では鬱を発症してしまいます。

 組織の中でうまく立ち振る舞えない自分にイライラしていた彼の頭の中では「俺はこんなちっぽけな人間じゃない! どこかで俺が活躍できる場があるはずだ!」と思っていたことでしょう。そんな中でイケダハヤトさんの自由な生き方はXさんの心を捉えます。

 しかし実際にイケダハヤトさんの生き方を真似してみたら、これが全くハマらない。
 持病の鬱はどんどん悪化します。

 ですが、持病の鬱が悪化した後で「後悔の念を漏らしているわけではない」というのも文章としては繋がっていないといえば繋がっていませんが、きっとXさんは実際に高知に移住して失敗してみることで「『"どこか"に自分が活躍できる場所』なんてものはないんだ。自分が今この場で努力しなければ状況は変えられない」と悟ったんだと思います。
 だからこそ後悔の念が漏れることがないんだと思います。

 

 僕はここ1年、仕事が終わってから短時間ですがスキルアップのために勉強をしています。
 高校時代は3年間合わせても100時間勉強できていたか怪しかった自分が今では1年で400時間やろうとしている(決して多い時間ではありませんが)。じゃあなんで高校時代そこまで勉強できなかったかと言うと、勉強に真剣に取り組むことで自分が頭が良くないということが数字として露呈するのが怖かったんですよね。「家が勉強に取り組む環境じゃない」とか「家系を見たって頭のいい人間なんかいないんだから、やるだけムダ」と、本当は結果を見るのが怖いだけなのに、勉強をしない理由を自分以外の理由にひたすら押し付けてました。そして押し付けている間は心理的にものすごく楽でした。

 内心「本当の俺は頭が良くて要領のいい人間だ」なんて思いながら、勉強を始めとする人生の面倒事から逃げて逃げて逃げまくって、アラサーになるまで生きてみると、いよいよ逃げ切ることができなくなってきた。そして「自分はそこまで頭のいい人間ではない」と認めざるを得なくなりました。

 最初は自分が頭の良くない人間だと認めるのは非常に辛かったですが、一度それを乗り越えてみると不思議なことにネガティブな気持ちはなくなるんですよね。自然と「あー、もう逃げ回ってもしょうがないから勉強するかー」という気持ちになる。
 きっとXさんも僕と同じ様な心境だと思います。




 

 

 隣の芝は青く見える、とはよく言ったもので、自分の心の中で『隣の青い芝』を持っている限りは、自分の目の前にあることには集中して取り組めないものです。
 「日本が生き辛い」「俺が活躍できないのは周りの環境が悪いから」というのも、原因は日本や周りの環境のシステム自体に問題があるのではなく、「どこか別に理想的な国や環境があるはず」と思ってしまう、その思考パターンに問題がある気がします。

 心の中の青い芝を消すためには、一つは「実際にその芝に立ち入って、実は大して芝が青くないことを確認する」か、「隣の青い芝をうらやんでうらやんで自分の芝は放置して、いよいよ隣の芝をうらやんでも自分の芝はどうにもならないことを悟る」という2通りのパターンしかないのかな、と感じた2本の記事でした。

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