今日の夜、カフェで勉強をしていたら隣に大学3年生か院1年生の2人組が座ってきたんです。
そこで彼らは一際大きな声でお互いの就活の状況について語り合っていたのですが、その片方の子が「昨日は○○の懇親会に参加して、代表の××さんと知り合いになった」と、やたらと人脈自慢を繰り広げるわけですよ。
Twitterやらブログでも人脈自慢をする活きの良い大学生は悪い大人たちに散々叩かれてきたこのご時世に未だにそんなことをペラペラと話すやつがいるのかと若干ワクワクして聞き耳を立ててしまったのですが、途中からちょっと自分自身の生き方についても考えさせられる結果になってしまって。
その大学生の話を聞いていると、彼はずっと「△△の□□さんとは知り合いだ」と言うのですが、結局彼自身が何ができるのかということが全く伝わってこなかったのです。
そんな人脈をせっせと作って彼が何をしたかったかというと「お偉いさんたちと繋がっていれば、いつかどこかでオイシイ仕事を振ってくれることもあるだろう」と思っているのでしょうが、恐らく優秀なビジネスマンであれば単なる知り合いだからという理由だけで彼に仕事は振らないと思うんですよ。
仕事を振る振らないの判断基準って「彼にこの仕事を振ったら黒字を出してくれるだろう」という数字的なところしか見られないじゃないですか。
黒字が出せそうということは彼自身に何かしらのスキルが無いといけないし、そのスキルを元にした「僕にはこのスキルがあって、こういう仕事を振ってもらえれば黒字を出せます!」というコンテンツ力がないといけないと思うんですね。
人脈を増やして人をマッチングさせるというやり方もあるでしょうけど、そういうマッチング業というのも事が終われば用済みになってしまうし、何より本人が直接的に黒字を出すわけではないからありがたみを感じてもらい辛い。
僕もかつては「人脈って大事」と思っていた時期もありましたが、一歩引いてみてみると「そもそも本人にコンテンツ力がないと意味がないのだな」と思い直した日曜の夜でした。
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