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フィリピン語学留学

俺のフィリピン留学記録 Vol.5(5週目)

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俺のフィリピン留学記録 Vol.4(4週目)

※本記録については留学終了後に加筆修正や画像の追加を行います  今回でフィリピンに来てちょうど4週間(一ヶ月)が経過しました。  マンスリーテストの受験や周りの真剣に勉強する友人との出来事もあり、より ...

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 フィリピン留学も今回で5週目です。

 今回は美容院に失敗してもみあげを真横に剃り落とされたり、韓国人の友人と港に行ってきました。

※本記録については留学終了後に加筆修正や画像の追加を行います

この記事の筆者

・30代組み込み系エンジニア
・技術者としてのキャリアの伸び悩みを感じ、会社を退職
・9月から3ヶ月間フィリピン(セブ)で英語留学を実施
 ・一人部屋
 ・1日計6コマ
  ・マンツーマン:4コマ
  ・グループレッスン:2コマ

喉の痛みと体調不良

 現在心身ともに疲労のピークが来ているらしく、月曜はあまりの喉の痛さに飛び起きてしまいました。風邪というわけではないのですが、午前中は喉の痛みで声が出ず、午後は痛みが引くと今度は咳が出るようになりました。

 はぁ、フィリピンに来て最初の一週間こそ元気だったのに、それ以降は常にどこか体が不調を訴えています。

 特にフィリピンの料理は豚が中心で、あまりフルーツなどを食べる機会がありません。量こそ十分に足りているのですが、バランスの良い食事というわけではありません。特にビタミンCを摂取する機会がない。

 僕の場合は日本からビタミンCサプリを半年分と、過剰に持ってきていたのでなんとかビタミンCは摂取できています。
 サプリを1日3回朝昼晩に分けて飲むので、クリティカルな風邪や肌荒れは起こしていません。他にもグルタミン(風邪予防)やアレグラ(花粉やハウスダストのアレルギー)の薬も大量に持ってきたので、これらのおかげでなんとか授業を受けれるだけの状態は保っています。

 もしサプリを持ってきていなかったどうなってたかと思うとゾッとしますね。

 

留学とジム24時間滞在権

 留学をして一日中英語を話していれば、スピーキング能力は嫌でも伸びていく。
 セブに来るまで、僕はそう考えていました。

 僕は英語を中途半端にやっていたわけではなく、TOEICも860点を超えて「日本でやれることは一通りやってきた」状態です。あとは実践の場さえ与えてもらえれば今まで散々頭にインプットされてきた知識は半自動的に整理されて、英語がスラスラ出てくるようになる。はずだった。

 ところが現実はそう甘くはありません。
 喋れない人はいつまで経っても喋れないのです。

 英語は筋トレにすごくよく似ているなと思います。
 「読む」「書く」「聞く」「話す」はどれも独立したスキルであって「読める」から自動的に「話せる」わけでは無い。それは筋トレでレッグプレスを100kg挙げられるからと言ってベンチプレスも100kg挙げられるわけではないのと一緒です。
 やはり別個でトレーニングしないことには目的の部位は鍛えられないのです。

 そしてこの「留学」は「ジムに24時間滞在する権利」のようなものです。
 一日6時間パーソナルが付いてくれて、マシンを24時間使い放題だからといって勝手にムキムキになれるわけではない。やっぱり重いマシンを汗かきながら動かしてヒーヒー言わないことには英語力は伸びないんですよね。

 それにしても僕がこの留学で一番伸ばしたかったスピーキング力は向上させるのが非常に難しい。

 確かにここにいれば英語で会話をするタイミングは山のようにある。
 けれども普段の会話の中で「(あっ、こういうときってどう言えばいいんだ!?)」と思って、よしんばその時メモを取って後から正しい英語を調べても、次にその調べた英語を披露する機会はほとんどないのです。

 「(こういうときはどう言えばいいんだ)」と感じる場面は山ほどあって、それに対していちいち調べて覚えて、またいつ使う場面がやってくるかわからないものに備えるというのは相当に骨の折れる作業です。

 でも、これしかスピーキング力を伸ばす方法はないんだよなぁ。

 今は「スピーキング力を伸ばすトレーニング方法はこれだ!!」というものが掴めていないのが心苦しいですね。確固たるメソッドがあればそれを愚直にこなすのですが。

 そんなことを思った病み上がりでした。

 

初めての一人行動と郵便局

 水曜日は日本にいる家族にどうしてもフィリピンから手紙を送りたいということで、午前中授業を一コマ休んで郵便局に行ってきました。

 バスで行くと安いのですが、あまりにも時間がかかるということで、今回はGrabTaxi(UberTaxiの東南アジア版)を使って郵便局に行くことに。学校から郵便局までは5kmほどですが、クーポンもあったおかげで400円で行くことができました。

 フィリピンには日本ほど郵便局が存在せず、またシステムも日本ほど確立していないそうです。

 フィリピンから日本に手紙を送る際には以下の3つのオプションがあります。

  • 通常郵便
  • 追跡郵便
  • 追跡速達郵便

 僕は追跡はしたかったものの急ぎではなかったので二番目の「追跡郵便」を選びました。
 料金は確か300ペソ(750円)ぐらいでそこまでしなかったと思います。特に時間がかかることもなく受付のおばさんから追跡番号を渡され、処理はあっという間に終わりました。
 が、直後にネットで追跡番号を検索しても「登録なし」と出るのです。フィリピンでは追跡できるようになるには数日かかることもあるそうなのですが、本当に郵送されているのか少し不安になってきました。

 待ちなどで時間がかかるだろうと思っていたのが着いて4〜5分もしないうちに処理が終わったので近くを散歩してみることに。

 郵便局の近くには警察署や博物館があったので、ひとまず博物館に入ってみることにしました。

 入口には二人の高齢のフィリピン人のガードマンがいて、入場料が分からなかったので「How much is the entrance fee?」と聞いてみると「?」と通じてない様子。今度は「Entrance fee?」とだけ聞いてみるのですが、やっぱり要領を得ない。
 しびれを切らしたガードマンが「OK、Go!!」と言ってくれたので、特に入場料を払うことなく入ることができました。

 で、この博物館、入ってみて気づいたのですが、市役所なんですよね。そりゃ入場料なんてあるわけないし、明らかに現地に住んでいなさそうな日本人がいきなり来て「Entrance fee?」とか言い出したらなんのこっちゃ分からなかったと思います。

 市役所なので当然中は大して見るものもなく、数分でそこを後にします。

 「他になにかできることないかな」と思っているとすぐ隣にショッピングモールがあるじゃないですか。
 喜んで入ろうとするとスッとストリートチルドレンの女の子が寄ってきます。僕はなるべく目を合わさないようにするのですが、執拗に前に立ちふさがります。しばらくしたら元いた場所に帰っていったのですが、いやーストリートチルドレンには何度絡まれても心が痛みます。

 モールの中はかなり立派な作りとなっているものの、平日の午前中ということもあって人はあまりおらず、店員の中には椅子に座って寝ている人もいました(笑) こういうのが許されてしまうのがフィリピンのいいところですよね。

 フィリピンは男性がトランクスを履く習慣があまり無い模様。前々からトランクスを売ってる場所を探していたのですが、ここのモールはかろうじて売っていました。見せることもないでしょうからいいのですが、おおよそ人様には見せることができないトロピカルな模様のトランクスを入手することができました。

 手紙も送れたし、トランクスも買えたので、満足して学校に帰ります。帰りもやはりGrabTaxiを使いました。

 今まで学校の外に出るときは誰かと一緒でしたが、今回は最初から最後まで一人で行動することができました。
 またひとつ自分のレベルが上がった気がしました。

 

宿舎のランドリー

 このセブ島留学日誌ではなるべく現地の生活や授業の様子をお届けしたいと思っていたのですが、色々とボヤいてばっかりで全然リポートできていないので、今回は洗濯物の話をします。

 宿舎には「ランドリー」と呼ばれるクリーニング屋さんがいて、1回8kgまで200ペソ(500円)で洗濯をしてくれます。8kgなんて1ヶ月分の洗濯を溜めてやっと届くか届かないかぐらいの量なので、実質的には上限がないようなものです。

 それで先日ランドリーに洗濯物を出しに行ったんですね。
 その時洗濯物の中には日本のGUで買った白いコットンシャツと、現地で買ったナイキの真っ赤なTシャツが入っていたんです。

 もうこの時点でみなさんオチは想像できると思いますが、赤いナイキのシャツ、色落ちしてGUの白いコットンシャツが見事に薄ピンクになってんのな。

 きょうびシャツなんか色落ちして他の洗濯物に移るかね!!??

 はぁ、お気に入りだったGUのシャツ、2枚捨てることになってしまった…

 

フィリピン人のクセ

 フィリピン英語の発音のクセですが、いわゆるTOEICなどで聴く正しい発音ではなく、フィリピン特有の訛りがかなりあります。

 例えば「The」という言葉も「Da」になったり、前に驚いた例として「Weather(ウェザー)」が「ウェダー」になっていたりと、ときおり話が通じないことがあります。

 訛りの強さは個人差が結構あって、若い人はあまりない印象。年齢が上がるにつれて訛りがきつくなるような気がしていて、僕が一番気に入ってるオバちゃん先生はもう何言ってるのか全然分かりません(笑)

 「あまりにも訛りがキツイと英語学習に支障をきたすのでは?」と心配されるかもしれませんが、よほど長いことフィリピンに滞在していないと訛りは移りませんし、それよりも単語を文法通り正しく並べられるかのほうが重要なので、気にする必要は全く無いのかなと思います。

 最近僕のリスニングの先生が体調不良で交代になったのですが、新しく代理で来てくれた先生、オネエなんですよね。

 マンツーマンのクラスで、先に教室に入ったらテーブルの上にビューラーと化粧用のペンが置いてあって「あれ、名前的に男かと思ってたけど女性なのか?」と思っていたら、後ろから細身の長髪の人が来たのな。それでもって声も甲高いので最初の15分ぐらいどっちか性別分からなかった。

 もうね、これ言うの結構はばかられるんですけど、後期のりゅうちぇるソックリなんですわ。骨格が似てるから声も似てて。

 で、授業受けてて途中で気づいたんですが、りゅうちぇる先生、めっちゃ発音キレイ。

 フィリピンに来て色んな先生の授業受けてきましたけど、パーソナリティ的にクセのある人って発音ちゃんとしてるんですよね。そこ、トレードオフになっとるんかい。

 

フィリピンの美容院

 フィリピンに来るにあたって、どうやってもうまくヘアカットをしてもらえる自信がなかったので、日本を発つ直前にギリギリまで髪を短くしていったんです。甲子園を終えた直後の高校球児並みに。

 それでしばらく平気だったのですが、どうやってももみあげが伸びてしまって、直近で美容院に行かないわけにはいけなかったんです。

 で、土曜に行ってきたんですけど、もみあげ、完全に真横に剃り落とされました。
 『ブラック・レイン』のときの松田優作みたいになりました。

 いやもうこれどうすんだよ。
 写真の切り抜きを見せた次の瞬間にバリカンで真横にいきよったでね。
 切り抜き完全に無視。
 あまりにもいきなり過ぎて止めるタイミングなかったからね。

 マジで憂鬱すぎてその後ずっと部屋に閉じこもってしまいましたわ。

 月曜日どうすんだよこれ〜
 授業6コマでイジられる&廊下とかで友だちに会うたびに説明せんとあかんやんけ〜〜〜

 

日本と韓国の『ブレックファスト・クラブ』

 今日は近くの港まで韓国人の友人であるスウォンと一緒に行ってきました。

 彼とはフィリピンに来た初日から仲良くさせてもらっていて、歳が近いことや、なんとなくの物の考え方が似ていて、外国人の友達の中では一番親しみを持っていたのでした。

 正直に言うと僕は留学に来るまで韓国のことが苦手でした。

 フィリピンの英語学校は韓国資本(スパルタ)と日本資本(レジャー重視)に分かれています。僕は当然スパルタ系の学校に行きたかったわけですが、やはり資本が韓国というところをどうしてもネックに感じていました。

 結局韓国資本の学校にしたわけですが、入学当初は「日本人の扱いはどうなるのだろう」と懸念していたものの、韓国人の彼らからは反日的な感情が出ることは全くありませんでした。

 若い子がジャパニーズカルチャーに対して寛容なのは分かるとして、僕と近い年代、もしくは年上となるとかなり微妙です。
 でもそんな彼らも反日感情がないどころか、親しみを持って日本人である僕に積極的に声をかけてきてくれたのです。

 入学当初からスウォンに対して「日本のことをどう思っているのか?」と聞いてみたかったものの、内容が内容だけに当時の拙い英語力では互いに誤解を生みそうで、ずっと話すタイミングを伺っていました。

 今回港まで行って戻る道中2時間、お互い色々な話をしました。
 生まれ育った環境や、仕事に関する考え方、国に戻ったらどうするのか、そしてお互いの国をそれぞれどう思っているのか。

 僕は彼と話をしている最中、ある映画を思い出しました。
 ハリウッドで初めてスクールカーストを描いたとされる『ブレックファスト・クラブ(1985年)』です。

 この映画はアメリカのハイスクールで、とある事情から土曜の朝の補習に呼び出された5人(スポーツマン、不良、オタク、ギャル、不思議ちゃん)を描きます。
 カーストが異なることもあり当初はお互いロクに口を利こうともしなかったのですが、補習を通じて実は互いが似たような悩みを抱えていることに気づきます。
 そして映画の終盤で
 「僕達は今までお互い学校で会っても目すら合わそうとしなかった。でも今回の補習を通じて、こうやって普通に話せるようになった。もし月曜に、また学校でお互いが顔を合わせた時、今みたいに気軽に話ができるのだろうか?」
 という問い掛けをする場面があるのです。

 今回僕とスウォンで話した内容はお互いの秘め事なので、具体的な内容は書くことを避けます。でも今回の一件のお陰で、お互いの心の中にあった大きな氷のようなものがスッと溶けたような感覚がありました。

 生まれ育った国も違えば、話す言葉も違う。でもこうやって拙いながらも互いの共通言語である英語を使って、真にコミュニケーションをとることができて、本当に留学に来てよかったなと思いました。

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