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体験談 考え方

薄れゆくコロナの記憶と振り返り

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 2023年5月8日に新型コロナウイルスの感染症法上の位置づけが5類感染症に変更されてから早4ヶ月以上が経過。それまで3年近くにわたり日本のみならず世界各国に猛威をふるい続けたコロナ(およびその対策)が事実上の終息となり、いつ終わるとも先が見えなかったこの騒動も遂にひとつの区切りがつけられることとなりました。

 5類感染症に変更されてからまだそこまで時間が経っておらず、またコロナの感染者数も減ったわけでもありませんが、社会は急速に平常運転の姿に戻りつつあります。

 そう、まるでコロナなど無かったかのように。

 自分自身もコロナ禍では大いにライフスタイルを影響を与えられたものの、一度終息してみると意外なほどに早くあの頃の記憶が頭から消えていこうとしているのが分かります。そこで今回は自分の中で「コロナ禍とは一体何だったのか」を整理するため、自分を取り巻く当時の様子について書いていこうと思います。

 

 コロナ禍が始まった2020年春、正直なことを言うと僕は社会の流れに全くついていけていませんでした。というのもこのブログの初期の方の記事でも書いていた通り、僕は2018年の春から事務職→エンジニアに転身をしており、ひとり家で黙々とプログラミングの勉強をしていたのでした。特に2020年となるとエンジニアとしてある程度スキルも身につき、転職活動も始めてみようかといったところ。

 普段テレビや新聞などはほとんど見ず、社会の情報はもっぱらネットニュース経由で軽く仕入れる程度。2019年の終わり頃、中国では新型の肺炎が流行しているという話をうっすら見かけるものの、数年前に流行したSARSの記憶もあり「(また中国がなんかやらかしているんだな)」とどこか他人事のような感覚がありました。

 2020年1月、日本国内で中国・武漢帰りの男性がコロナに感染・発症したとのニュースが飛び込んできます。その時点ではまだコロナに対する恐怖はそこまでありませんでした。しかし2月になり、いつも通り仕事が終わり家に帰り、何気なくテレビをつけるとダイヤモンド・プリンセス号という船が日本に寄港しているというニュースが放送されます。その船ではコロナが流行してしまっており、日本がしぶしぶ検疫に当たっているとのこと。僕はこの時点で「(あぁ、遅かれ早かれ、このウイルスは日本で流行するんだな)」と覚悟したのをよく覚えています。

 一度日本国内にウイルスが持ち込まれてしまえばそこから先の流行は早く、あっという間に日本全国に感染が広がりました。当時は「コロナ自警団」のようなものが結成され、県外ナンバーの車に対して嫌がらせの張り紙を貼るなど、まるで戦前のような様相を見せます。ただしこれまたテレビでニュースを観ていなかった僕は世間がなぜそこまでコロナに対して異様な警戒を見せているか理解できませんでした。確かに世界的に流行しているものの、データを見る限りでは死者数もインフルエンザと同等かそれ以下で、数字上では大騒ぎをするようなウイルスには思えなかったのです。

 2020年3月、日本で第一回目の緊急事態宣言が発令されます。初めて聞く単語に「(一体今から何が始まろうとしているんだ?)」と思いつつも、その内容は日本国民に対して外出の自粛を促すもの。僕はこの緊急事態宣言に対しては懐疑的でした。というのも、いくら外出自粛を要請したところで、それでもやっぱり外出を完全に抑制することは不可能でしょうし、データを見る限りではやはり大したウイルスではない。刑事罰があるわけでもない自粛要請に国民全員が従うとは到底思えなかったのです。

 ところがいざ緊急事態宣言が発令されてみると街から人が綺麗サッパリ消えてしまったのです。これには本当に驚きました。まるで映画の『バニラ・スカイ』や『28日後』のようだったのです。今まで世界同時多発テロや東日本大震災のようにテレビ越しに映画のような場面は見たことがありましたが、自分がその場でリアルタイムに体験することは初めてでした。

 当時僕が住んでいたところはスーパーが特に店じまいをするのが早く、一人暮らしの僕は食材を買いそびれ、渋々近くの飲食店に夕飯を食べに行くことにしました。そこはファミリー層に大人気のハンバーグ店で、普段であれば18時前後でスムーズに入店するなどまず不可能。ところがこのときばかりは一切待つこともなく入店できました。店の中もキッチンに2人、ホールに1人と普段ならありえないような人員配置。お客さんは僕含めて4人ほどいましたが、みなさん僕と同じように一人暮らしで、食材を買いそびれた者同士といった様子。素早く料理を食べ終わると早々に退店。家に戻るときは行きと同様、車にも歩行者にもほとんど出会うことなく帰路につきました。

 緊急事態宣言のさなかのゴールデンウィーク、僕は久々に実家に帰りました。実家では年老いた両親が一日中ニュースをつけていたのですが、終始コロナの恐ろしさを報道していて、このとき初めて「(あぁ、こんなトーンで一日中報道されたら特に高齢者は恐れおののいてしまうだろうなぁ…)」と理解できました。

 1回目の緊急事態宣言の前後から、職場ではマスクの着用の義務化。自分のデスク周辺にはアクリルパネルや段ボールで作った急ごしらえの衝立が設置。複数人での会議は厳禁で、打ち合わせは自席でWebミーティングにて実施するよう命じられました。今までは打ち合わせをするとなると会議室を取らないといけ&プロジェクターのセッティングをしなければいけないなど面倒くさいことも多かったのですが、Webミーティングとなればそこがすべて解消されたので、Webミーティングの推奨はコロナ禍でも数少ない災禍のメリットとなりました。

 僕はソフトウェアエンジニアのためコロナによって働き方は他部門に比べそこまで影響を受けませんでしたが、製造のような部品がないことには動けない部署となると物流が止まり稼働の縮小を余儀なくされました。同じIT企業でも中には協力会社/派遣切りを断行したところも多くあったと聞きます。

 世間のビジネスの業態もガラリと変わり、まず飲食店は複数人での会食は禁止となります。店も常にドアや窓をフルオープンにし、常に換気が必要に。ライブなどの人が集まるイベントはクラスターが発生するとのことで全面的に営業停止。このときスーパーやコンビニは生活に必須なお店ということで営業時間を短縮しつつ開店していましたが、それ以外のお店は実質すべて閉まっていたので自宅で大人しく過ごすことを余儀なくされました。

 この頃の印象的な出来事としては「コロナでトイレットペーパーが品薄になる」というデマが広く流布されたことです。元々はTwitterで「コロナで物流が止まってトイレットペーパーの原材料が入ってこなくなる」など言われ、大本のデマツイート自体は即座に削除されたものの、それを訂正するツイートが多く拡散されました。しかし訂正ツイートの拡散により人々の間に漠然とトイレットペーパーが品薄になるという恐怖心が芽生えます。そうして最初は数人がいつもより多めにトイレットペーパーを買うと、ドミノ倒し的に買い占めが連鎖。やがては本当にトイレットペーパーが品薄になり、どこのお店からも商品が消えるのです。

 トイレットペーパー品薄デマ、今しがた大本のツイートが正確にはどういった言い回しだったか調べようとしたのですが、どこを調べても確かな情報が残っていないのです。僕がリアルタイムで見かけたときは「原材料が入ってこなくなるから」という理由だったかと思いますが、「トイレットペーパーとマスクの原材料は同じなため、マスクの製造に注力すると必然的にトイレットペーパーの生産量が落ちるから」との情報もあり、真相は分からず。いずれにせよ自分が学生の頃社会の授業で習い、半笑いで見ていた「オイルショックでトイレットペーパーが品薄になった」という事柄が、このデジタル時代である令和になって再現するとは夢にも思いませんでしたし、先述の通り県外ナンバーの車を取り締まるコロナ自警団の自然発生など、日本人のメンタリティは戦前からほとんど変わっていないことにも愕然としました。

 政府はその後もコロナに対して有効な対応策を打ち出すことができず、ただひたすら国民に行動自粛を要請します。確かに行動を自粛すれば人同士の接触がなくなるため感染者数は減りますが、言ってみれば交通事故を減らすために車に乗るのを止めるのと同じで、抜本的な解決策にはなっていないのです。

 ですが2021年1月、コロナ禍対策の大本命が登場します。そう、ワクチン接種です。

 日本国民全員が短期間に2回接種するというこのイベント、僕はここで初めてワクチンは2回打たないといけないものもあるであるとか、副反応が強烈なものもあると知りました。僕自身、副反応は1回目に一晩だけ高熱が出るものの、それ以外はほとんど影響ありませんでしたが、周りはコロナ本体にかかるよりも強烈な副反応を示す者もおり、その後の接種トータル5回を考えるとノーガードでコロナにかかるかかからないか運に任せたほうが良かったのではないかと思う事態も多々見受けられました。ワクチン接種に関しては副反応の強烈さやその後の効果の薄さを考えたとき賛否が分かれるところですが、政府も抜本的な解決策を示せず、国民の不安を取り除くことができなかった状態にあって、少なくともサラリーマンであればワクチンを接種しないという選択はなかったように思えます。

 そうして2回のワクチン接種が国民全体に行き渡るものの、それでも感染者数は思うように減りませんでした。その後も政府は緊急事態宣言とまん延防止重点措置を繰り返すのみで、段々と日本国民が疲弊していくのがわかりました。特に僕がかわいそうだなと思ったのは学生や新社会人たちでした。学生の場合は修学旅行や学園祭などが軒並み中止。部活も規模の縮小は必至となり、学生生活から楽しい要素は徹底的に排除されました。僕みたいなアラサーの人間は既に色々と遊び終えていたので行動制限によるフラストレーションもそこまでありませんでしたが、学生たちはほんとにしんどかったことでしょう。後年彼らが社会人となり、ふとしたタイミングでコロナ禍当時のデータを見たとき、「コロナもインフルエンザも対して危険度は変わらなかったのに、なぜ社会はあそこまで右往左往し、そして自分たちの学生生活は奪われてしまったのか」と絶望しないよう祈るばかりです。

 結局感染者数が減ることもなく、有効な対策もなく、政府も言質をとられないよう「ここまで感染者数が減ったらコロナは終息と認定する」と宣言することもなく日々は過ぎ去り、この災禍は永遠に続くようにも思えました。仮に政府が終息を宣言したところで日本の国民性の都合上、今までと同じようなコロナ対策をしているところとしていないところのどちらを選ぶかといえば、コロナ対策をしている方を選ぶでしょう。そういった囚人のジレンマ的に向こう10年20年はかつてのような生活様式に戻ることはないのかなと、ぼんやり考えていました。

 そうしているうち、2023年1月、日本政府はある発表をします。「2023年5月8日をもって新型コロナウイルスの感染症法上の位置づけが5類感染症に移行する」。事実上の終息宣言です。

 実際に5月8日を迎えて、その日からガラリと人々の行動が変わることはありませんでした。コロナ禍では着用が義務付けられていたマスクも5月8日以降では「外す人もチラホラいる」ぐらいの程度です。しかし時間が経つに連れ、加速度的にマスクを外す人も増えれば、飲食店でもアクリルパネルは撤去されるようになりました。最初は様子見だったものの、7月に入り暑さが本格化するといよいよマスクも我慢できず、この頃には街に出てもマスクをしている人は10%ぐらいとなりました。大声を出すイベントも遂に復活して、2023年9月現在ではコロナウイルスによって営業が妨げられている業種はほぼなくなったのではないでしょうか。

 

 コロナ禍が終わってみて当時のことを振り返ってみると、コロナ禍は本当に現代社会の難しさを煮詰めたようなイベントであったなと思いました。例えばコロナ禍で高齢者を中心にしきりに叫ばれた「人の命がかかってるんだぞ!(だから行動制限をしろ)」というのも、そうやって人の命の大切さを叫ぶ人も自動車には普通に乗っていたりします。もし自動車に乗って交通事故にでも遭ったらどうするのか。ハンドル操作を間違えて幼稚園児の列にでもぶつかってしまったら一気に十数人が亡くなってしまうことになる。そこのバランスをどう考えているのか。またコロナ禍流行当初からコロナとインフルエンザは同等以下の致死率しかなかったが、では今までインフルエンザはどう捉えていたのか。

 日本政府としてもコロナ禍で行動制限を要請しましたが、結局一度たりとも数字として「コロナの感染者数がどうなったら緊急事態宣言を発令する/解除する」を語ったことはありませんでした。これも数字として出してしまうともし何かあったときの責任を誰かが取らなければならなくなってしまう。昨今の日本を取り巻く状況を見ても「責任を取ること」のリターンがあまりにも少なすぎるため、こうなっても仕方がないでしょう。

 今回この記事を書くにあたってコロナのことを色々と調べましたが、結局人々はなぜコロナを恐れ、そしてなぜ終息させていったのかは見えてきませんでした。よくも悪くも「なんとなく」でコロナを恐れ、そして恐れることに「飽きて」終息していったのでしょう。3年にも及ぶ行動制限がありながらも、僕自身早くもあの頃の記憶が薄れつつあるのですから。

 今後またコロナのようなウイルスパンデミックが起こっても、今回の経験を活かし迅速に対応できるということは無いのではないかなと感じてしまいました。人の性質はそう簡単には変わらないですからね。ただひとつ教訓として覚えていかないといけないのは、何にしても自分で考えて行動するしか無いということです。コロナ禍のさなか、しきりに行動制限が叫ばれましたが、大人しく家でじっとしてみても災禍が終わってみれば誰もそれを評価してくれないわけです。

 もちろん社会にとって迷惑になるような行動は慎むべきですが、社会との折り合いをつけつつ、行動すべきところは行動する。それが大切だということがこの3年間で沁みるように理解できました。



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