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一人称視点映画の到達点であり、限界点『ハードコア』

 AmazonPrimeで映画『ハードコア』を観ました。

※今回の作品はAmazonプライム会員であれば無料で視聴可能です。→AmazonPrimeビデオ

 

上映時間

 96分

 

オススメ度

 星5点満点中:★★★

 

あらすじ

 見知らぬ研究施設で目を覚ましたヘンリーは、妻エステル(ヘイリー・ベネット)が、大事故によって肉体が激しく損傷してしまった自分に機械でできた腕と脚を取り付け、声帯摘出の準備を進めているのを目にする。だが、手術に取り掛かろうとしたとき、謎の組織を率いる男エイカン(ダニーラ・コズロフスキー)が乱入。すさまじいパワーで施設を破壊した上に、エステルを連れ去ってしまう。ヘンリーは機械のパーツを導入したことで得た超人的身体能力を活用し、愛する妻をエイカンから奪い返そうと立ち上がるが……。<Yahoo!映画>

 

感想

 2015年に公開され、史上初の全編一人称視点アクション映画として話題をさらった本作。(一人称映画自体は1947年の『湖中の女』など、過去に製作されたことあり)

 監督はロシアのロックバンド「バイティング・エルボウズ」のフロントマンを務めるイリヤ・ナイシュラー。
 ナイシュラーは自身のバンドのPV監督も務め、彼らのバンドの楽曲である「Bad Motherfucker」を全編一人称画面で制作したところこれが話題を呼んだ。
 このPVを観た、同じくロシアの映画監督であるティムール・ベクマンベトフの勧めもあり、クラウドファンウンディングで本PVの長編映画化企画を打ち上げるとまたたく間に資金が集まり、結果として全米での公開も果たすことができた。

 

 さてこの『ハードコア』ですが、事前の評判通り、壮絶な映画でした。

 全編一人称視点でありながら、これでもかと多彩なアクションが展開され、上映時間の96分間、ほぼ毎分「これどうやって撮ったの!?」と驚きを禁じえませんでした。

 恐らく一人称映画というジャンルからすれば本作が一つの頂点であり、向こう10年、は少なくとも一人称アクションというカテゴリーの映画は作られないでしょう。

 しかしながら本作が一人称映画の一つの頂点とするならば、同時に限界点も示してしまっており、完成度が高ければ高いほど一人称映画の限界も皮肉なことに提示してしまっているように思うのです。

 

これでもかと詰め込まれた一人称アクションのアイデア

 本作の良いところを挙げるとするならば、まずそのアクションの多彩さでしょう。

 一人称視点でありながら素手でのファイトシーン、ナイフ、ハンドガン、マシンガン、ショットガン、グレネードなど、ありとあらゆる武器が登場します。
 それでいてカーチェイスやパルクール、果てには'空中戦'なんかも出てくるところには「よくこんなアクション思いついたな」と感心するとともに「よく思いついてそれを実行しようと思ったな・・・」と少し呆れに似た感情も抱いてしまいます。
※空中戦が何かは本編を見てのお楽しみ

 特にカーチェイスシーンなど普通の三人称視点でも撮影が難しいのに、それを一人称で平然とやってのけてしまうあたり空いた口が塞がりません。「こんなにうまく撮れてるってことはバリバリにCGが使われてるんだろうなー」と思っていたところ、メイキングを見るとそのほとんどが生身の撮影にこだわっていることが分かり、ただただ感心します。

 

圧倒的なアクションの質量

 多彩なアクションのアイデアもさることながら、わんこそば方式でこれでもかと繰り出されるアクションの量が凄まじい。
 この映画本編で殺される人間の数は恐らく500人近いのではないでしょうか。少なくとも近年の映画で人が死にまくる映画として『エクスペンダブルズ2』が挙げられますが、確実にそれ以上の死者が出ています。

 ただ単に人が死んでいくのではなく、その死に方の多彩さも異様で、過去に映画で登場した人の死に方をすべて詰め込んだかのような構成になっており、血が出ること血が出ること。

 特に驚くことにこの映画、予算がたったの200万ドルで作られているとのこと! 最近では映画の制作費も高騰していて、アベンジャーズなどの超大作アクション映画だと2億ドル。有名俳優が1人ぐらい出ている中規模アクションで1億ドル。それを下回ると相当寂しい内容になってしまうのですが、本作はそれを遥かに下回る200万ドルと、「いや、200万ドルって劇中で使われた火薬のお金ぐらいにしかならんやん・・・」と思ってしまいました。

 

一人称映画の到達点であり限界点

 さて、本作『ハードコア』が一人称アクション映画として非常に完成度が高く優れた映画ゆえ、却ってその限界点も見えてしまっています。

 やはり本作がどれだけアクションのアイデアを詰め込んだとしても、画面が一人称視点ゆえ、同じ構図になってしまいます。
 特に素手で敵を攻撃するとなると、敵は主人公・ヘンリーの手の届く位置にいないといけないわけですから、常にヘンリーと敵の位置は同じになってしまうんですね。
 また多彩な武器が登場するわけですが、ハンドガンにしろ、ショットガンにしろ、基本的に画面の端からニュッと出てきて撃つだけになってしまって、違いは撃った後の衝撃が大きいか小さいかだけで、やってることは同じに見えてしまうのです。

 また映画への没入感を高めるため主人公・ヘンリーを喋ることができないキャラにしたのも、ある面ではいい効果を発揮し、ある面では悪い結果を招いてしまっています。
 僕らは普段映画を観ている時は、誰か別の人間(主人公)に感情移入し自分を重ね合わせることでその世界観を楽しみます。しかしながら本作では主人公が喋れない上に一人称視点から顔が見えないため、主人公の感情が分からず、感情移入できないのです。
 もしこの映画がゲームのように自分で主人公を操作できるのであれば喋らなくても問題ないのかもしれませんが、本作の場合物語だけはどんどん先に進んでいくので、感覚としては「誰かがプレイしている一人称視点ゲームをただ観ているだけ」になってしまっています。

 そして主人公に感情移入できない上に、我々観客がまだ一人称映画に慣れていないのもあって、すごいアクション映像が出てくるたびに「この映像はどうやって撮ったんだろう!?」とある意味で冷めた感情を抱いてしまうのです。
 観客が主人公に感情移入できていないからこそ、どれだけすごい映像が出てきてもどこか距離を置いて映画を観てしまう。

 これはいわば「感情移入不気味の谷」とも呼べるものです。
 CGのキャラクターでもリアルに近づければ近づけるほどある一点から不気味に思えてしまう。デフォルメしておおよそ人間に近くないほうがかえってリアルに見えてしまう。
 それと同じように映画も観客との距離を近づけようとすればするほど、その相違点に目が行くようになってしまう。
 そんなことをこの映画を観ながら考えてしまいました。

 

※今回紹介した作品はAmazonPrime会員の無料体験でも視聴可能です。

 

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