映画館で『鬼滅の刃:無限城編 第一章 猗窩座再来』を観て参りました。
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【ネタバレ】予備知識ゼロの人間が語る『鬼滅の刃:無限列車編』
『鬼滅の刃:無限列車編』を映画館で観て参りました。 鬼滅はアニメが放映され始めたぐらいから僕の周りでも話題で、前々から漫画を読んでみたいなと思っているうちに『無限列車編』が公開。すると映画は国内の ...
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鬼滅の刃に関しては前作『無限列車編』以来の鑑賞となります。
前作はコロナ禍に公開され、映画産業が壊滅的な状況にある中で唯一の一人勝ちをし、日本映画歴代興行収入No.1の407億円を記録。本作『無限城編』も現在公開60日近くが経過し、『千と千尋の神隠し』を超え320億円を記録。これにより、日本映画市場の歴代興行記録のNo.1と2を鬼滅がその地位を占めたことになります。
やはり日本の興行記録を塗り替えた作品だけあるので映画ファンとしては劇場で観なければならないと思い、ある程度人気も落ち着いたところでレイトショーで観に行って参りました。
映画はやはり稼いだやつが偉い
前作に引き続き、今作でも僕はやはり鬼滅に対して割とネガティブな感想を述べたいと思います。
ただ、その前に自分のスタンスを明確にしておきたいのですが、やはり映画というのは"興行"であって、稼いだやつが一番偉いし、観客側も楽しんだやつが一番偉いんです。こと鬼滅に関しては興行収入が300億円を超えていて、これは普段映画を観ない層を劇場に足を運ばせ、それでいて一度の鑑賞だけでなく何度も観てもらわないと出せない数字なのです。
よく「興行収入は作品の面白さを直接的に表すわけではない」と言う人がいますが、それはまぁ分からなくもありません。ただ、映画は劇場に足を運ばせるところまでが映画であって、観てもらえなかったら意味がないのです。それは飲食店が禄にホームページ制作やSNSの更新もやっておらず、店構えも汚い状態で「うちはお客さんは入ってないけど、料理を食べてもらえさえすれば日本一なんだ!」と吠えたところで「いやいや、お客さんに足を運んでもらうとこまでが飲食店なんですよ」と一蹴されるのと同じです。
そういった点で、鬼滅のようにターゲット層が明確で「うちはこういう料理を出しますからね!」と明確に打ち出してる飲食店にノコノコ出向いて、まーた文句言ってる方が人としてどこか問題がありそうです。
アクションシーンは世界一のアニメーション
自分のスタンスを明確にしたところで実際に鬼滅の感想に入っていきますが、鬼滅の劇場版、4年ぶりに観て思ったのですが画面アスペクト比が16:9なんですよね。劇場版にするんだからスコープサイズとは言わず、せめてビスタではやってほしかったなぁと思います。まぁテレビでそのまま放映したいからっていう事情は分からんでもないのですが、せっかく劇場に行ってるんでやっぱり横長のスクリーンで見たいじゃないですか。特に最近は劇場で左右の余白をカーテンで隠さなくなってきたので、なんか画面がスカスカというか小さく感じるんですよね。
あと公開から2ヶ月近く経過しているのに、僕の最寄りの映画館では一番大きいハコでやっていて、レイトショーなのにお客さんも半分ぐらい埋まっていました。以前レイトショーで『スーパーマン』を観たときは2~3割ぐらいしかいなかったのに、それとは大違いです。
本作『無限城編』はいきなりド派手なバトルから始まるのですが、前作『無限列車編』でも感じた通り、最近のバトル物のアニメはハリウッドに負けないようなアクションを展開するんですね。これが鬼滅特有の演出なのか、他のアニメ(例えばワンピースなど)でもそうなのか分かりませんが、普通の観客が理解できないスピードで次から次へとアクションが展開されます。
アクション自体もちゃんとプロのスタントチームというかアクション工房に動作設計を依頼して作っているんだろうなと分かるようなクオリティです。素人がアクションを研究して頑張って作ったというわけではなく、ちゃんとその道のプロに仕事を依頼して組み立てているのが感じ取れます。
敵に吹っ飛ばされて建物にぶつかり、その建物が崩壊するところに3DCGがふんだんに使われ、最初は「これ実写を織り交ぜているのか?」と見紛うほどでした。バトルシーンだけでなく、ドラマパートでもCGが多く使われており、特に静止画だと実写と見分けがつきません。
ただこの「3DCGをふんだんに使っている」というのがちょっとウィークポイントに感じるときもあり、ときたま「なんかPS5のハイクオリティなゲームみたいだな。そもそも鬼滅のアニメ自体トゥーンレンダリングしたときの質感みたいだし」と思ってしまいました。
とはいえアクションの迫力であったり、ケレン味を感じさせるアクションに関しては、全世界見渡したとしても間違いなくNo.1のアクションアニメーションでしょう。
回想シーンに頼り切ったドラマパートはテンポを完全に損なわせる
アクションシーンに関しては間違いなく世界No.1なのですが、いかんせんドラマパートがおざなりというか、構成が完全に破綻しています。
本作『無限城編』、サブタイトルの通り敵である鬼の本陣、無限城に入ってしまっているのでそこでドラマパートを作ることが出来ず、ドラマ演出はすべて回想シーンに頼っているのです。なので豪華なアクションシーンでテンションが高ぶったところで回想、テンションが高ぶったところで回想、と毎回こちらのテンションが上ったところで回想を挟み込んで冷水をかけてくるのです。
しかもその回想が正直あってもなくてもあまり結末に関係ないと言うか、物語の盛り上がりに寄与しないのが困ったところ。回想シーンって「ここぞ」というところで短時間挟み込むからこそ効果的になるのであって、特に終盤で猗窩座の回想シーンが30分近く展開されたときはちょっと苦笑いになってしまいました。
いずれの回想シーンもあってもなくても映画として成立します。あってもなくても成立するということはその時点で映画は物語的に停止しているということで、僕のような鬼滅に思い入れのない人間からすると単純に退屈な時間となってしまうのです。
鬼滅の刃の劇場版はテレビ放映をものすごく意識しているのがありありと伝わってきてきて、特に本作は『無限列車編』に比べて明確に「切れる」ポイントが多くありました。
例えば『無限城編』の物語構成も3幕構成というか3部構成というか、3エピソードの構成になっているんですよね。その3エピソードの中でバトルシーンと回想シーンが明確に分かれていて「あっ、多分ここ、テレビ放送時にCMが入るな」というポイントが分かりました。その3エピソードも胡蝶しのぶと善逸と炭治郎で明確に話が分かれていて、お互いが別に絡み合うこともない。現在と回想パートが明確に分かれているのでいつでも切れる。この回想パートも全部切って上映時間を90分以下に収めたら傑作だったと思うんですけどね。
どうしても回想パートを全部入れたいというのであれば、胡蝶しのぶ/善逸/炭治郎のエピソードの最初に全部固めて配置すればいいんですよ。そうすればこちらの集中を切ることがない。
まぁでもなんでこんないびつな構成にしてしまったんでしょうね。ある程度映画をやっている人間がこの脚本を読んだら「…回想シーン多すぎじゃない?」ってツッコミが入る気がするのですが。この脚本で通るということは恐らく原作も同じ構成でやっていて、それを忠実に実写化してるだけなのではと推察しています。原作は週刊連載なのでこういうぶつ切り回想シーンが入っても違和感はないのですが、映画として連続の物語として見せられるとなかなか厳しいものがあります。
いやー割と厳しい意見を鬼滅に対して言ってしまいましたが、これって二郎系ラーメンを食べに行って「なんだこのカロリーしかない食べ物は!!」とキレているようなものなんですよ。「いやいや、二郎ってそういうとこだし、パブリシティ的にもそこしか宣伝されてないのに、お前は何を思って食いに行ったんだ?」って話じゃないですか。
でもお話的には難がありながらも、定期的にこうやってアニメ映画を観るのも悪くないなぁと思っています。やはり数年ごとにアニメを見ると技術の進歩であったり、普段接している層とは違う客層に触れることになって、それが新鮮だったりします。
続編もやはり日本の興行ランキングでトップ10には食い込んでくるでしょうから、次作が公開されたときにはまた観に行ってレビューをしようかなと思います!