よく会社の上司とかが「自責思考を持て!」って言ったりするじゃないですか。
あれ、聞く度にすごい違和感を感じるんですよね。
最近だとインフルエンサーなんかもブログやTwitter、YouTubeで盛んに叫んだりしてるわけですけども、まぁインフルエンサーが自責思考うんぬんを言い出すのってだいたい自分がリリースしたコンテンツにつまらないコメントがついたり、しょーもないことで炎上させられたりした時なんですよね。
それで冒頭の「自責思考を持て!」という言葉なんですが、僕も社会人なりたての頃は本当によく上司から言われました。
で、その時に僕は何を思っていたかと言うと
「何が自責思考じゃボケ! まずお前のその大した説明もなく仕事を俺に丸投げする姿勢やちょっと自分の思い通りにならないと露骨にイラついて相手を支配しようとする態度、そして『仕事が終わらないのはお前の能力が足りないせい。能力が足りない人間に金は払えない』と言ってサビ残させるその腐りきった思考を全部直してから俺に自責思考がどうだこうだ言えよ」
ということです。
まぁ、何がいいたいかと言うと「自責思考を持て!」と言われて「そうか、俺には自責思考が足りないんだ! 明日から自責思考をバリバリ持って、頑張って仕事するぞー!!」となる人間はいないということです。
自責思考を持たないことには人生何も好転しないことは確かなんですが、言ってることが正しい、イコール、その通りに動けるかと言ったらそうじゃないのが人情ってもので。
いくら論拠が正しかろうが、結果としてそれが自分にメリットがないものはなかなか動けないものです。
だから、もし心の底から自責思考が良いものだと信じて、他人に自責思考を実施してほしいのなら
- なぜ他責思考になってしまうのか
- どうすれば自責思考を持てるのか
- 自責思考を持つとどんないいことがあるのか
この3点をセットで説明しないとダメだと思うのですよ。
だからこれを説明しようとしない上司やインフルエンサーは実のところ、ただ単純に他人が自分の思い通りに動いてないことに腹が立って言ってるだけなんだろうなぁと思ってます。
だって少なくとも他責思考=他人を責めることに快感を覚えてしまっている以上、どう考えたって他責思考より快感物質を発生させてくれなさそうなアクティビティである自責思考なんてできるわけないじゃないですか。
で、ここからが今日の本題なんですけど、今回僕なりにどうやったら自責思考がもてるようになるのかを考えてみました。
僕も昔は激烈な他責思考で、常日頃から「俺の偏差値が低いのは親の頭が悪いから仕方ないんだ」「俺がモテないのはどう考えてもお前らが悪い」みたいなことを考えていました。
それが最近では色んな経験を経てすっかり更生しまして、毎日仕事が終わったあとで1時間の勉強と、週3回以上のジム通い。このブログで言うと1年で100記事更新をしたりなんかできるようになりました。
高校時代は3年間トータルで100時間も勉強しませんでしたし、筋トレは本格的に始める前まではほとんどやったことがない。ブログにしても学生時代2~3回ぐらい開設していた覚えがありますが、どれも10記事も書かないうちに削除してしまいました。
そんな他責思考の権化みたいな僕ですが、じゃあなんで他責思考の人が他責思考になってしまうかと言うと原因は2つあって、それは「自己評価の高さ」「成功体験の無さ」だと思ってます。
他責思考の人=かつての僕は自己評価がものすごく高いんですよね。
自己評価が高いがゆえに何か行動をして失敗したくない。行動して失敗すれば、それは自分の能力が低いことを証明することになる。でも周りの人間が成功しているのは悔しい。なんで俺より能力が低いやつがあんなに成功してるんだ?
よし、攻撃してやれ!
と、なるわけですよ。
じゃあ、自己評価の過剰な高さってどうやって是正したらいいかって言うと、やっぱりそれは「実際に行動して失敗して、嫌でも自分の適正な市場価値を把握する」しかないと思うんですよね。
このブログでたびたび言及するのですが、僕は新卒の頃、同じ会社の遊び人でチャラ男の課長に "恋愛修行" なる指導を賜っていたという過去がありまして、「本気でいいなと思ったオンナを堂々と口説ける男になる」と銘打って色々と活動をしておりました。
活動内容としては合コン、街コン、相席、ストリートナンパと、女の子と出会えるようなものは何でも参加して、そこで莫大な数の女の子と言葉を交わしてみて経験を積む、というものでした。
でもこれがまた全く女の子から相手にされないんですよ。
そりゃそうですよね、コミュ障上がりの冴えない兄ちゃんが一念発起して女の子にフラフラ近づいていったところでそりゃ相手にされるわけもないんですが、当時は結構真剣に落ち込んだりしてました。
それでその度に女の子に対する毒を吐くわけですが、そんなことを聞く耳も持たず課長はまた問答無用で僕を戦場に送り込むわけです。
戦場に送り込まれる→LINEブロックが増える→ソウルジェムが濁る→戦場に送り込まれる→LINEブロックがー
という無限ループが展開され、「女なんてクソだ!!」と言い続けていたら、とうとうブロックの数も○桁人を超えてしまったんです!(具体的に何人からブロックされたかは別記事に書いてあるので探してみてね)
こうなるといよいよ僕も自分が恋愛市場で価値が無いことを認めざるをいけないわけで。
仮にこの世界の女の子のことをどれだけクソだと非難したところで、そんな女の子たちから○桁人もブロックされているという事実は歴然とそこに横たわっているのですよ。
この瞬間僕の中でブレイクスルーが起こりました。
ここで今まで通り他責思考のまま誰かを責め続けたってLINEブロックが増えるだけで何も変わらない。もし仮にこの世の女の子たちが僕の考え通りクソ揃いだったとしても、僕はそういう世界に生きている。
だったら自分が変わって、自分の価値が上がるような行動をして、女の子たちを魅了しなくてはいけない。
だから今は勉強したり、筋トレをしたり、ブログを書いたりと、自分の価値を高めるための行動がそこまで苦にならなくなったわけです。
でもこのお話の難しいところは、僕はたまたま遊び人でチャラ男の課長に出会えて、半ばパワハラで強制的に現場に出させられたからこそ他責思考の無意味さを知る機会が出来たのであって、これがもし自分ひとりだったらちょろっと街コンや合コンに行って、2~3人からLINEブロックされてしょげちゃって、そのままアラサーになった今でも誰かのことを責め続ける人生を送ってたんじゃないかなぁと思ったりします。
だから1つめの自責思考になるためのポイントとしては「徹底的に他責思考を貫いてみて、それで状況は何も好転しないことを知る」になります。
そしてもう一つ僕が自責思考になった出来事があるのですが、これはほとんどの人が聞いたら「えっ、そんなこと?」ってなるような事柄なんですが。
これは半年ぐらい前と割と最近の話で、当時使っていたパソコンがそれはまぁ動作の遅い代物だったんです。
OSを起動するのにまず5分、Chrome開くのに3分、なにかソフトを立ち上げるのにも終了するのも数分かかる。ちょっとマウスでクリックする度にハードディスクがカリカリと音を立てるのでした。
本格的にプログラミングを学び始めた身としてはこれから先もっと色んな大容量データを扱うようになるので、このままでは仕事にならない。
どうしたものかと考えていると、ハードディスクの種類を今のHDDからSSDに変えるとかなり改善されるとの記事が見つかるじゃないですか。
いやー、でもパソコンの裏蓋外して、今まで実装してあったHDDを外してSSDに取り替えるとか面倒くさいしなぁ。
あっ、SSD換装サービスがある! げっ、5000円もかかるんかよ。SSD本体の価格以上じゃないか。
まぁでもネット見てるとそこまで難しくなさそうだからやってみるか。
今まで1年ぐらいプログラミングの勉強をしてきたおかげで、ググってみて自分で問題を解決するという行為にそこまで抵抗を感じなくなっていたので、とりあえずやってみることにしました。
それで実際に換装してみるとパソコンの起動やその後の処理がめちゃめちゃ早くなる!!
今まで起動するのにも5分ぐらいかかっていたものが今ではものの30秒ぐらいで終わっちゃうじゃないですか!!
この時僕は思ったんですね。
「自分で勉強して、実際に行動すると生活が楽になる」
いやいや、たかだかハードディスクの種類をHDDからSSDに変えて、パソコンの処理がちょっと早くなったぐらいで何が成功体験だよって話ですが、たしかに僕の中ではめちゃめちゃに大きい成功体験だったんですよ。
実際にやったこととしてはパソコンの裏蓋にあるネジを10本ぐらい外して、中にあるHDDを取り出してSSDに変えただけです。ちょっと手先が器用な小学一年生の子でも出来ちゃう内容です。
だから2つめの自責思考になるためのポイントとしては「勉強をして、実際にそれを実践してみて生活が楽になるのを体感する」になります。
こういう他責思考/自責思考の問題で感じるのは、周りの環境がものすごく影響するんだろうなということです。
例えば自分が経営者として成功している親の下で育ったのであれば自責思考にもなりやすいでしょうし、親も安月給のサラリーマンで家の周りも貧乏でまるで希望もないところで育ったのであれば他責思考になるのも無理はないでしょう。
かといってずっと他人を責め続けても自分の人生は好転しないわけで。
じゃあどうすればいいかというと、良い方向でも悪い方向でも、とにかく突き詰めて行動してみるのが一番なんじゃないかなぁと思います。
他責思考なら他責思考で、徹底的に「自分は悪くない!」と思っていると、どこかで「あぁ、人を責めてもしょうがないな」と思うポイントが出てくるはずです。
中途半端に「自分は悪くない」「いや、もしかしたら他人が悪いのかも」と思っているうちは、他の人の言葉も入ってこないですし、自分が行動するにも踏ん切りがつかないですからね。