考え方

社会人になってから勉強ができるようになった人にはパターンがある

 僕は社会人になって20代後半からコツコツと勉強をするようになった人間なのですが、周りを見ていると社会人になってから勉強が習慣づいた人には一定のパターンがあることが分かりました。

 

1st Step:勉強をしないと人生が好転しないことを悟った

 自分はこのパターンの最たる例。

 高校時代は3年間合わせて100時間も勉強しませんでしたし、大学時代など怠惰の極みでした(就活の時期はさすがにちょっとだけ勉強しましたが)。そんなことでしたから大学を卒業してもろくな就職口などなく、年収も300万円程度のブラック事務職に就くしかありませんでした。当時は仕事ができない自分の頭の悪さやあまりにも低い年収に絶望していたのをよく覚えています。

 とはいえ勉強のやる気がなかったわけではなく、むしろやる気だけはありました。受験当時から和田秀樹先生の受験勉強指南本、社会人になってからは自己啓発書やビジネス本は腐るほど読みましたが、これがなぜか机に向かって勉強することができない。

 ときおり気まぐれで勉強をしてみても全く結果が出ず、一時は学習障害か何かを疑い、自分には身体的なハンデキャップがあるのではないかと病院での診察を考えていたほどです。

 そんなときネットで「世の中才能が全てである」「社会的に成功するかどうかは実家の太さで決まる」というような記事を見て「自分が努力できない、結果が出ないのは生まれが悪いだけで、自分の責任じゃないんだ!」と心がスッと軽くなりました。

 そこからは現実からひたすら目を背けて、週末になると友人と名古屋の街で女の子のお尻ばかりを追いかけ、遊びに遊んでいました。

 しかしどれだけネットで「世の中才能がすべてである」という記事を読んでみても、ひとたび家の外に出てみれば世間は優しくありません。誰も「君はたまたま生まれが悪かったんだからしょうがないよね」と包み込んでくれるわけではないのです。

 自分より年収の高い友達とご飯に行っても「ほんとはこんな高い店行きたくないんだけどな」と躊躇してしまうし、女の子といい感じになっても横から出てきた自分よりスペックの高い男にあっという間にかっさわられてしまう。嫌でも現実を直視させられてしまいます。

 こういった経験を積み重ねていくとある時「これはもうちゃんと勉強するなり努力して結果を出さないとどうにもならないな」と悟り、勉強に集中できるようになるのです。

 

2nd Step:勉強をすると生きやすくなるということを知る

 1st Stepで人生を好転させるには勉強するしかないと悟り、嫌々ながら勉強してみて結果が出ると生きやすくなることがわかります。僕の場合は転職で年収を上げるために武器の一つとしてTOEIC875点を取ったのですが、色々と生きやすくなった実感があります(その後転職も無事成功)

 まずTOEICで860点を超えていると就職にものすごく有利なため、この先食いっぱぐれるという不安がなくなったこと。TOEICという点数の相場観が誰でもわかる資格試験で結果が出たので周りからものすごく褒めてもらえたこと。そして数字として結果が出ているので「他のことに挑戦しても、まぁ結果が出るだろう」と自信がついたこと。

 初めて自分が「勉強をすると生きやすくなるのだな」と心底実感したのは家のノートPCをHDD→SSDに換装したときです。家のPCはHDDで動作がものすごく遅く、ちょっと動かすだけですぐフリーズをしていました。その原因はHDDにあったわけですが、SSDに換装するとなると業者に頼んで1万円ぐらいするわけですよ。それがネットで調べてみると自分でもできると知り、めんどくさいなと思いながらも換装してみると劇的にPCが早くなるんです。

 このときに「めんどくさいなと思っても自分で勉強(調べて)すれば生きやすくなる」と実感することができました。ほんのちょっとネットで調べれば1万円の手間賃が浮きますし、快適な生活を手に入れることができる。

 僕は『Studyplus』という勉強時間・内容の記録をできるSNSを長らくやっているのですが、そこでのフォロー・フォロワーさんは1つ結果が出たらだいたいそのまま勉強を続けています。最初は「TOEICで600点超えます」「簿記2級取ります」と宣言しつつも、実際に目標が達成できたらその場でパタリと退会することはなく、また別の目標を設定して勉強を続けるんですよね。

 結果が出たことで自分が生きやすくなった実感を得られたのと、『Studyplus』で辛かったことも良かったこともこまめに記録していると次に新しいことに挑戦しても「努力のノウハウ」が積み重なっているので挫折しにくくなるんです。「あーしんどいな」と思っても過去の記録を読み返せば「以前資格に挑戦してたときもこのタイミングで嫌気が差していたな」とわかります。

 傍から見てると「よくそんなにバイタリティ高く次から次へと新しいことに挑戦できるな」と感心してしまう人はときおり現れますが、彼らはこういった成功体験を多く積んでいるのです。成功すれば自分の生活が楽になることを知っているし、失敗したとしてもそれが糧になることも熟知している。実家が太い人はその資金力によって成功体験を小さい頃から積ましてもらえるために倍々ゲームで新しいことにチャレンジできるので、より社会的に成功する確率が大きくなる。これが「親ガチャ」の正体なのです。

 

愚痴を言い尽くすフェーズも必要

 現状に不満を抱えつつも努力ができずもがき苦しんでいる人は「愚痴を言い尽くすフェーズ」が必要です。僕も昔はほんとうに愚痴ばっかり言っていました。そして周りから「そんなに不満があるなら努力すればいいじゃん」と言われていましたし、たしかにそうだなと同意しつつも、やっぱり体は動かないんですよね。

 そうやって愚痴の海を深く深く潜っていると、いつか海の底に着くんです。一旦底に着けば、あとは上がるしかないと悟ります。

 僕がどうして「勉強をしないと人生が好転しないことを悟った」かと言うと、悪い意味で色々行動したことが大きかったです。それこそ自己啓発書やビジネス書を山ほど読んだし、その影響で毎朝鏡に向かって「お前はやればできる男だ」と念仏を唱えたりしてみる。日記で何十冊にも渡って愚痴を書く。逆に20代中盤はガールハントに精を出して女の子からのLINEブロックの山を築く。Twitterで気軽に愚痴を吐くのではなく、悪い意味で汗をかく行動をしていました。実際に汗をかく行動をしたからこそ早いのか遅いのか、行動しなくてはダメだと気付くことができたのです。

 「世の中才能がすべて」という言葉は薬物のような側面があって、あまりにもこの言葉を乱用しすぎると上に上がってこれなくなる可能性があります。FacebookやTwitterでもたまに「世の中才能がすべて」という研究記事を延々とシェアしては自分を慰めている人を見かけます。本気で「世の中才能がすべて」と思っているのであれば「才能のない自分は無駄な努力をせずに済んだぜ。ワッハッハ!!」となりそうなものですが、努力を否定しつつ、現状の自分に満足している人を僕は見たことがありません。コンプレックスを抱えた自分を「才能がすべて」という言葉で慰めているとやがて依存症になり、いざ自分が努力を始めようと思ったときに過去の自分の暗示で行動にブレーキがかかってしまうのです。

 僕が「才能がすべて」という言葉に危険性を感じているのは、年齢が上がれば上がるほど人生の難易度も上昇してしまうため、努力を怠ってしまうとあとで取り返しがつかなくなる可能性が高まるのです。そして何よりも「『才能がすべて』って努力を放棄するけど、俺らはそんなトップレベルのレイヤーに挑戦したいわけじゃないだろ」と思ってしまうんです。

 例えば自分がニートで職歴もなく人生詰んだと叫ぶようなスペックでも、宅建士の資格を取れば不動産業界で正社員としてそれなりの賃金を得られます。宅建も全くの未経験から300時間あれば取得できると言われているので、1日1時間勉強をすれば1年でなんとかなってしまうんです。1日1時間の勉強量はさすがに才能は関係ないでしょう。そういった「やればできること」から目を背けて「やれなくて当たり前の領域」に突っ込んでいって案の定挫折するというのが世の中で散見されるなと感じております。

 

 どれだけ今の自分が社会から相対的に見てスペックが低くても、昨日の自分より今日の自分ができることが多くなると、それだけで嬉しくなるものです。

 世の中一発逆転のメソッドは(ほとんど)ないのですから、地に足をつけてひとつひとつ一緒に頑張っていきましょう。

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