『芸人交換日記』を読みました。
完了時間
2時間程度
ページ数
308P
オススメ度
星5点満点中:★★★★★
感想
大学生の時に本屋で立ち読みをして、最初の数ページを読んだだけであまりの面白さにそのまま購入。その後家に帰ってノンストップで読み続け、終わりの方には大号泣してしまいました。
僕は本や映画で泣くということがほとんどありませんが、本作は初めて本を読んで泣いてしまった作品です。しかもただ泣くのではなく嗚咽が出てしまうほどの大号泣。自分でもフィクションの作品を読んでいてここまで泣いてしまうことに驚いてしまいました。
この作品、買ってから何度と無く読み返しては号泣していたのですが、ここ数年読むこともなく押し入れの奥にしまっていました。押入れの整理をするため、先程この本を手にとって、なんとなく読み返してみると、もう読むのは10回目ぐらいなのですがまたしても泣いてしまいました。
自分が歳を重ね、そして環境が変わっていくにつれて、この作品の捉えかたも微妙に変化し、そしてまた泣いてしまう。
今回はそんな『芸人交換日記』のお話をしたいと思います。
ギッチリと詰め込まれた売れない芸人あるある
ストーリーとしては11年目の売れない漫才コンビ、イエローハーツの甲本と田中が今年こそは売れるためにと交換日記を始めます。アツいけれどお調子者のツッコミ担当・甲本と、クールで天才肌のボケ担当・田中。高校時代からの友達で、学園祭で漫才を行ったのがキッカケでお笑いの世界に入ります。
とはいえお笑いの世界で売れることは非常に難しく、二人に次々と困難が待ち構えます。
- テレビを点ければ自分よりもかなり年下の芸人が爆笑を取ってる
- 芸歴が11年目でも仕事はしがない営業ばかりで年収は85万円
- 30歳になるのに毎日ふりかけだけかけてご飯を食べる自分に情けなくなる
- 同級生に仕事のことを訊かれても恥ずかしさから「テレビ局で働いている」と嘘をつく
- 売れるための華が無いと言って無理なキャラ設定をつけようとする
- ご飯を奢れるお金がない自分が惨めで、後輩とご飯に行こうとせずサッサと帰る
と物語が始まってわずか数十ページだけでも売れない芸人あるあるがギッチリと詰め込まれて、しかもそれが猛烈にリアリティがあるのです。
映画でもそうですが、いい物語の条件として「自分が知らない世界を、さも自分がそこにいるかのように体験できる」というのがあるのですが、それに当てはめると『芸人交換日記』はさも自分が売れていない漫才コンビになったかのような気持ちになれます。
1ページに何個ものあるあるを詰め込んでいて、それでいて決して暗いままにはなっていない。どれもちゃんと笑えます。そのバランス感覚が非常に素晴らしい。
交換日記形式だからこそのアッと驚く展開
この物語は基本的に甲本と田中の日記帳上でのやりとりを我々読者が読んでいるという形式で、いわゆる"地の文"というものは出てきません。(例:その時田中は甲本の思いがけない回答に肩をすくめてしまった など)
それゆえ基本的には甲本が田中に、田中が甲本にと会話調で話が展開されるため非常にテンポよく読めてしまいます。
そして中盤からはこの交換日記形式だからこそのアッと驚くトリックが一つ隠されていて、それを元にこの二人が快進撃を見せていくのです。
前半の方で圧倒的なリアリティをもってして散々売れない芸人の姿を見せつけられていただけあって、中盤からの二人が成り上がっていく様は非常に爽快です。
夢を追うことについてのテーマが泣かせる
さて、実はこの物語のテーマは「夢を追い続け、それが叶ったら本当に幸せになれるのか? 夢を諦めたら必ず不幸になるのか」というものになります。
世の中の大半の物語は長年追い続けた夢を最後に叶え、そしてハッピーエンドで終わるというものがほとんどですが、その先の夢を叶えた後の話は意外と多くありません。そしてもちろん、夢を諦めた後については不幸という文脈で語られることが非常に多い。
『芸人交換日記』では「夢を諦めのも才能だ」として僕らに優しく語りかけます。
今は引退してしまった島田紳助さんがかつてテレビでM-1を創設した理由を「30歳になっても準決勝に行けないようなら才能がないということ」「30代になっても結果が出ない場合は辞めないと不幸になる」と語っていました。
この本の著者・鈴木おさむさんもいつも間近で売れずにくすぶっている芸人さんを見て、そんな芸人さんたちのメッセージとしてこの本を書いたようです。
夢を諦めることをネガティブな文脈で語られることが多い昨今、諦めることも前進の一つだとこの物語を通じて見せてくれます。
---------------------ここから軽いネタバレ----------------------------------
さて、ここに来るまではネタバレを避けるためにどうしてもふんわりとした内容しか語ってきませんでしたが、ここからは結末に直結するような事柄を書いていきます。(それでも最大限の配慮はしますが)
一時は快進撃を続けた二人もやがてこのままではお互いダメだということで解散することを決めます。
本当はこのコンビで漫才を続けて行きたいと思っているものの、このコンビだからこそ売れないということを悟ってしまうという皮肉さ。周りの環境の変化から片方は芸人を辞めることを選びます。
この「本当はこのコンビで売れたい」と思っていながらもそれが叶わないという悲劇性や、やりきれなさに僕はまず泣いてしまいました。どうやったら売れるかは分かっているけども、それを実行できるのは自分ではない。しかもそれを実行できるのは自分が一番嫌っていたはずの後輩の芸人だった。
この本は読んだタイミングで泣けるポイントが変わってくるのですが、今回僕がより一層泣いてしまったのは、解散を告げられた方が、なぜ自分は解散を告げられたのか後になってわかり、それに対して取るリアクションです。
「その怒りはもっとでかくなった。お前の書いたこの日記読んで。なんでか分かるか? 結局この日記全部読んだらさ、お前の行動が正義みたいになってるからだよ。第三者が読んだら、お前の美談みたいになってるからだよ。お前は正しくなんかないよ! 一つも正しくないし、カッコよくもない。お前はそうやって自分の惨めさを打ち消すために、自分の取った行動に意味を付けて、自分のおかげで俺が売れたってことで自分の人生にも意味があったって決着しようとしてるんだ」
怒りを爆発させます。しかしその直後
「…終われないよ。やっぱ終われない。終われるわけない。ああやって書かないと自分が崩れちゃいそうだったからさ」
人間的な弱さを一気に吐露します。
僕はこの人間的な感情の変化に感情移入してしまい本当に泣いてしまいました。自分の好きだった人から一方的に別れを告げられ、こちらの気持ちの整理が付く前に離れていったのに、後になって戻ってこようとする。
怒りの感情と、また以前みたいにやり直したいという思いの間で揺れ動くというこの感情は、この物語の中では漫才コンビという形式をとっていますが我々の日常生活でも頻繁に起こることだと思います。
一つの漫才コンビという形を取りながらも、普遍的な構造を持つ本作。
笑いながらも思わず泣いてしまう本作は、どんな年齢・性別の方にもオススメです。