SNSでは定期的にインフルエンサーの経歴詐称が明るみに出て、それまでの人気が一気に失墜するというイベントが発生します。僕はこの "経歴詐称系インフルエンサー" というものが大好きで、以前ブログ記事になぜそれが好きなのかということをまとめました。
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僕を惹きつけて止まない経歴詐称系インフルエンサーと、「粋」の文化
インターネット有史以来、数々のインフルエンサーたちが登場し人々の羨望を集めては、実はその華やかな経歴はすべて嘘だったということが暴かれるイベントが定期的に発生します。 一介のインターネットユーザー ...
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当時書いた記事ではその理由を「経歴を詐称する労力をまともに努力として投下していたら、望み通りの経歴になったのではと思えてしまうところに趣があるから」「自分(=東城紘行)が同じように経歴を偽ったところで、同じだけの羨望を周りからは得られないだろうと思ってしまうから」としていたのですが、どうにも自分の中で経歴詐称系インフルエンサーに惹かれる理由はそれだけではないような気がしていたのです。
そうしている中、最近古い友人に久々に会ったのですが、話のネタのひとつとして経歴詐称系インフルエンサーの話題を出したのです。
その際お互いで「偽りの経歴で人の耳目を集めて一体何が楽しいのか」という話になったのですが、そのときに「そういえば東城お前、昔Twitterでネカマやってなかったけ? それなら気持ち分かるんじゃないの?」と言われたのです。僕もすっかり忘れていましたが、数年前にTwitterでネカマとしてアカウントを運用していたことがあり、フォロワー数も半年で800程度と、そこそこには人気になっていたのです。
家に帰ってから慌てて当時の日記を引っ張り出し、同時にPC上に保存していたツイートログを読み返すと、おぼろげながら当時の気持ちが蘇ってきて、それでいて経歴詐称系インフルエンサーの気持ちがわかってきたのです。
恐らく経歴詐称系インフルエンサーのほとんどは悪意はなく、むしろ善意で経歴を詐称しています。
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社会人になり数年が経過。ある程度仕事もできるようになり余裕が出てくると、モテるようになりたいという下心から「普段女性が見ている世界を知りたい」と、ネカマとしてTwitterアカウントを立ち上げることにします。SNS上ではありますが、普段どれだけ女性が男からアプローチを受け、それでいてどんな言い回しで誘われているのかを体感したかったのです。
とはいえ「モテるようになるためー」と言いつつも、ネカマをやることで「非日常を味わってみたかった」という気持ちがあったのも正直なところ。
そこで作ったアカウントの設定は以下の通り。
- 名前:ゆい
- アイコン:台湾かどこかのアジア系アイドルの写真を加工したもの
- 年齢:新卒1年目(恐らく大卒)
- 仕事:社員数100人程度の小規模な企業で総務をやっている風
- Twitterプロフィール欄:アクション映画が大好きな旨を書く
ただしこのアカウントを作成するにあたって、自分にルールを設けました。
- 自分が女だとも男だとも明言しない
- 自分からはリプライ、および、個人的な付き合いを誘発するメッセージを送らない
- 素の自分の実体験からかけ離れたツイートはしない(「今日男からナンパされた」など)
- 男だと疑われたら今回の企画はその場で終了する
今回のネカマのコンセプトはあくまでも「女性が普通に生活しているだけで、どれだけ男からアプローチされるのか」というところを調べたいだけなので、男性にこちらから個人的なお誘いをするなど、故意に他人を弄ぶような行為は禁止としました。
実際ツイートする内容としては現在の僕=東城紘行がつぶやいている内容とほぼほぼイコールで、主には映画の感想がメイン。あとは日常の愚痴や、社会的なニュースへのコメントなど。若干口調は女っぽい感じであるけれども、見る人が見れば「いや、これどう見ても男だろ」といった具合。
大して面白いことを言うわけでもなく、際どい写真をアップするでもないので、最初こそ周りの反応はほとんどありませんでしたが、僕がマイナーな映画に対しても感想をつぶやくので恐らくツイート検索から来たであろう人たちがポツポツとフォローしてくるようになりました。
そしてフォロワーが200人を超えたぐらいから、今まで映画のツイートにしかいいねやRTがつかなかったものが「はぁ、今日も仕事疲れた」というコンテンツ性ゼロのものにもいいねがつき始めるようになりました。
これがもし東城紘行アカウントでつぶやいていたらいいねがつくどころか逆にフォロワーが1人減っているでしょう。
いつもいいねやRTはもらえるものの、誰かとリプライでやりとりするということはない。でも周りの反応としてはいつやりとりが始まってもおかしくないような状況。そんなある日、僕が "ゆい" として今さっき劇場で観てきたミニシアター系の映画の感想をつぶやいたところ、一人の男性から「それ僕も観ました! ゆいさんと同じ感想です!」というリプライが飛んできたのです。僕は純粋に映画の感想を誰かと語り合いたかったのでそのままやりとりをしていたのですが、相手方もそのやりとりを非常に楽しんでいる雰囲気でした。
そこからというもの、その男性とのやり取りを見て「ゆいちゃんはリプライを飛ばしても気さくに返信をくれるんだ!」となったのでしょうか、雪崩方式で今まで定期的にいいねをつけてくれた男性陣から一気にリプライが来るようになりました。これまた最初の方は映画の感想のようなコンテンツ性のあるものにしかリプライは来ませんでしたが、やがて「あー、明日仕事行きたくないな」というツイートにすらリプライがつくようになるのです。
このとき正直言うと僕はリプライが非常に嬉しかった。「あー、明日仕事行きたくないな」という思いは本物で、それが何であれ赤の他人から労ってもらえるというのが初めての経験だったのです。
アイドルのような顔をした新卒1年目の女の子が一部のボンクラ男しか見ていない香港のB級映画の感想などをつぶやいたりするものですから、そこが珍しいということで途中からは加速度的にフォロワーが増加。フォロワーが500人を超える頃には、気づいたら僕のツイートの文体は完全に女の子になっていました。ここで僕は段々と素の東城紘行という人格と、ネカマとして作り上げたゆいの人格の境目が分からなくなってきます。
確かにゆいの設定は嘘だけれども、そこで話している内容は本物です。自分のツイートで多くのいいねを集め、人の心を動かしているのは事実。だとすれば東城紘行でつぶやくよりも、ゆいでつぶやいていた方が多くの人が喜んでくれるので、このままのほうが良いのではないだろうかと思ってくるわけです。
そうするとどんどんと男性ウケする発言が増えてくるのです。ここでの詳細なツイート内容は控えますが、あるときは男性の過労死のニュースを引用して「日本の男性は過酷な労働を強いられている」と言ってみたり、など。
そうするとDMで「年々日本の男性への風当たりが強くなる中、ゆいさんのような可愛らしい女性に現状を多少なりともご理解いただけて、非常に救われた気分です。私は最近価値観の違いで婚約をしていた彼女と別れてしまい、女性に対して絶望していたのですが、表立って言わないだけでこういった考えの女性もいるんだと分かると元気が出ました。本当にありがとうございます」と言われたりするのです。
もうここまで来ると止められない。個人的なお誘いはしないものの、相手の男性が喜んでくれるのを見て、こちらからも積極的にリプライを飛ばすようになってしまいます。
別にTwitterは結婚相談所と違って身分を偽ってはダメという規約はないし、まして僕はゆいとして「自分は22歳の新卒1年目女子です!」などと公言はしていません。すべては周りが勝手に判断してリプライを飛ばしてきているだけなのです。身分を偽るというところに多少なりとも罪悪感は感じていますが、それ以上に誰かを喜ばせているのであれば経歴詐称など大した問題ではないと思えてきてしまうのです。
この構図は整形に非常によく似ていると思います。今の日本では整形はなんとなく推奨されるものではないとされていますが、整形すれば周りに喜ぶ人が多くなるわけです。それに元の顔さえ知られなければ誰も不幸になるわけじゃない。
ひとたび周りが好意的になるのを知ってしまえば「もっと、もっと」と整形をしたくなるものなのです。
アカウント開設から半年も経たないうちにフォロワーは800人を突破。何かつぶやけば必ずリプライがつくようになったところで僕は一日中暇さえあればツイッターを開いていました。現実の東城紘行で同じようなことをつぶやいたところで何も反応がない中、ゆいでつぶやけば必ず好意的な反応がある。
このときにはオープンなリプでもクローズドなDMでも「一緒に映画を観て、その後お酒でも飲みながら感想を語り合いませんか?」というお誘いがしょっちゅう来るようになりました。
もはやTwitter依存症になりかけたところで以前からそれなりにリプライを飛ばし合っていたとある男性から「ゆいさん、映画のチョイスや普段の発言があまりにも男っぽいですが、本当に女の子ですか?」と指摘され、唐突にこの企画は終わりを告げます。
そうだ、このゆいのアカウントはそもそも「女性から普段見えている世界を知りたい」と思って始めたんじゃないか。
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昔スタンフォード監獄実験をモチーフにした『es』という映画を見たことがあります。実験自体はスタンフォード大学の心理学部によって行われたもので、内容は一般人を20人ほど集めて、それを看守役と囚人役の2つに分けるのです。そして実際の刑務所さながらの生活を送らせると、初めは単なる一般人だった看守役がやがて本物の看守かのように振る舞い始め、果てには囚人役に対して暴力までふるい始めるというものです。要するに与えられた役割が、人格に大きな影響を与えることを証明した実験なのです。
当時この映画を見たときは「本当にこんなことあるのか?」と半信半疑でしたが、Twitterでネカマアカウントのゆいを運営していくにあたって実際に起こり得ることなのだと理解できるようになりました。また最近慈善団体や人権団体が普段自分たちが行っている活動とは真逆のような性犯罪を起こしてしまうことが往々にしてあるということを聞いたとき、その理由がなんとなく僕には理解できました。普段善い行いをしていれば多少の悪事も働いてもそれは許されるべきだと思ってしまうんですよね。
さて、定期的な周期でキラキラ系インフルエンサーが詐欺で捕まり、それに対して「最初から詐欺をやる目的だったのか!」と言われたりしますけど、彼ら彼女たちが最初から詐欺目的でアカウントを作っている可能性は非常に低いと思います。
最初はちょっとした憂さ晴らし的にツイートしていたのがバズってしまい、それと同時に自意識も肥大化。いよいよ作り上げた設定と現実の自分との差があまりにも大きくなり、周りからも経歴を疑われると、急いでギャップを埋めようとするため結局詐欺のような無茶をするしかなくなってしまう。SNSでフォロワーが1000人を超えてくると、詐欺的にお金が稼ぐチャネルができてしまうため、安易に手を伸ばしてしまうのです。
当初から詐欺をはたらく目的でインフルエンサーをやるのって割に合わないと思うんですよ。実際に他人のお金を動かせるようになるには最低でもフォロワー1000人は必要だし、そこまでいくのに設定を練り込んでツイートするのにものすごい時間がかかるし、なまじ私生活出しちゃってるからお金巻き上げた後トンズラってできない。いざ詐欺行為をして裁判になって経歴を盛っていたことが分かれば敗訴は確定します。根っからの詐欺師ならもっとクローズドなコミュニティで、ポンジスキームのように明確に悪意があったかどうか分かりかねる手法をとるんじゃないですかね。
港区でキラキラOLやってるかと思えば蓋を開けてみれば普通のマンションに住み偽ブランドを売っていた、京大工学部卒でイギリス人の妻を持ち先進的なジェンダー観から日本の弱者男性を叩いているかと思えば蓋を開けてみれば独身中年フリーターだった。これらは別に最初から誰かを騙そうと思ってやってたわけじゃないんですよ。ちょっとした憂さ晴らし的に「もし自分なこんな経歴だったらいいな」と思ってつぶやいたところでそれがバズってしまった。そうすると「私も頑張ってあなたのような生活が送れるようになります!」とか「あなたのツイートで心が軽くなりました」とか言われるわけです。その快感が忘れられなくてもっともっとと設定を先鋭化していった結果、ある日横から飛んできた針によって風船が破裂してしまうと。
中身が空気だけじゃなくてちゃんと実績で詰まっていれば破裂しなかったんですけどね。
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経歴詐称系インフルエンサーはこれからも登場してくるだろうし、現在進行系でまだ詐称がバレていないだけのインフルエンサーも数多くいると思います。
それは良くも悪くも経歴の詐称によって救われる人間が、詐称する側/詐称する側両方に存在するからです。