「ベンチプレスを半年で100kg挙げれるようになったが、人生何も変わらなかった」
先日Twitterでそんな悲しい投稿を見た。
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その方へ通知が行かないようにするためにもツイートの貼り付けは行いませんが、そのツイート主の方は自らを低身長・低学歴・低収入の "弱者男性" と自称し、世間でよく言われる「筋トレをやったら人生変わった」という言葉を信じて半年間熱心にジムに通ったそうです。
そして周りから努力不足と言われないためにも初心者脱出の一つの基準であるベンチプレス100kg挙上を達成したとのこと。けれどもそれでも人生は何も変わらなかったようで、落胆とともに各方面に悪態をついているのです。
僕も過去3年以上フィットネスジムに通っていた経験があるのでベンチプレスの相場観は重々理解していますが、半年で100kgを挙げれるようになるのは成功以外何物でもありません。僕自身3年通っても60kgしか挙げれるようになりませんでしたし、ジムを見渡したところで100kg挙げれる人間なんてほとんどいません。
「ベンチプレス100kg挙げるための努力量と、東大京大に入るための努力量は、ほぼ同じ」という言説を聞いたことがありますが、単純に100kg挙げるだけなら少なくともMARCH・関関同立レベルはあるといって良いのではないでしょうか。半年で挙げれるようになったのなら間違いなく東大京大レベルの努力量なり才能があります。
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ここで後出しジャンケン的な話にはなりますが、何かを達成したからと言ってその瞬間から劇的に人生が変わるということはほとんどありません。
宝くじで億円単位のお金が入ってくるならその瞬間から人生が見違えるほど変わりますが、それは努力で得たものではないので、また別の話。少なくともベンチプレス100kg挙げれるようになりました、東大京大に受かりました、電通から内定出ました、司法試験に合格しました、からといってその瞬間から世界が変わることはまず無いのではないでしょうか。
何か人よりも抜きん出た結果が出ると、その後人生の要所要所で他人から褒められます。褒められると「頑張ってみてよかったな」と思います。そしてひとつ実績が出たからこそ「これができたんだから、あれもいっちょやってみるか!」と別のことに挑戦するモチベーションが湧いてきます。そうやって挑戦してみると、なんやかんや結果が出る。結果が出なくても「まぁこれはダメだったけど、俺には○○があるしな」と、大してダメージもなく、また別のことに挑戦できる。そうやっているうちに気づくと昔では考えられなかったような場所に自分がいる。
そういった一連の流れを述懐して全部丸ごと話してもいいのだけれども、他人からはそこまでの尺は求められていないし、自分も話すのが面倒くさいので「筋トレやったら人生変わった」とワンフレーズで言い切ってしまうのです。世間で言われれいる「筋トレやったら人生変わった」というのはその瞬間を切り取っているのではなく、その後の人生の流れ全部を汲み取った上での「人生変わった」なのです。
世の中筋トレほど誰にとっても優しいアクティビティもありません。まず筋トレは一人で完結できるし、最近は24h営業のジムも増えてきて、時間を選ばずにやることができる。そして継続的に続けていれば結果が出ないということは、まずない。それに結果自体もキログラム単位で自分の成長を数値として細かく確認できる点が素晴らしい。これが資格試験ならば、どれだけ努力しても合格しなかったら何も努力していないことと同じになってしまいます。
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かくいう僕も、以前からこのブログでお伝えしている通り、TOEICで875点を獲得することができ、人生が変わったと思っています。
今までの説明のように、875点という数値が出た瞬間に人生がパァっと明るくなったわけでもないし、今の会社で僕がTOEIC875点を獲得していると知っている人はほとんどいません。何なら英語はあまり得意ではないと思われているぐらい。
でも高校時代はセンター試験で英語が4割も取れていなかった自分が世間的にはハイスコアと言われる860点オーバーの数値を出せたことは大いに自信になりましたし、その後の転職の面接でも「僕の長所はコツコツと努力を継続できることです。この長所のお陰で働きながらでも地道に勉強を続け、TOEICでは875点を獲得することができました」と話したところ、面接官からは深く納得され、内定を勝ち取ることができました。
それからも自分の人生の随所で「まぁ俺はTOEICで875点を取れたんだから、他のこともなんとかなるでしょ」と思うことができ、休日にプログラミングを勉強することも億劫ではなくなりました。本業とは全く関係ないものの、自分のキャリアを考えて簿記やFPにも挑戦し、ハードな残業の合間に勉強して、無事合格しています。
そしてTOEICでハイスコアが出る前に務めていた弱小メーカー時代は、女の子といい感じになっても終盤で会社名を聞かれると、その後はずっとスマホを触られ盛り下がって解散ということが何回かありました。恐らくはネットで会社名を調べて、そこの平均年収を見てガッカリしたのでしょう。逆に転職した今では途中まではスマホを触りがちだった女の子も会社名を聞いた途端ピタリと手を止めるということが何回もあります。あまりの現金さにちょっと笑いがこみ上げてしまうのですけども、これも「努力して結果を出すと良いことがある」分かりやすい例でしょう。
話を戻すと、ベンチプレス100kg挙げれているのに、それを成功というフレームで捉えられていないのはすごくもったいないなと思います。そう思うものの、成功のフレームで捉えられるのも時間の問題とも考えています。というのもベンチプレス100kg挙げたという"数値"の実績は揺るがないもので、それが人生の要所要所でジワリジワリと効いてくるからです。
人は自分が出した結果を過剰に低く見積もって「こんなもん、やれば誰でもできる」と言ってしまいます。そうやって他人にもアドバイスするのだけども、そうすると他人が意外と自分と同じ期間で結果を出せない事態に直面します。すると「あれ、おれがやってたことって実はすごいんじゃね?」と気づくのです。
今はまだ周りに悪態をつくフェーズかも知れませんが、早くその転機が来ることを祈っています。