※当サイトではアフィリエイト広告を利用しています

考え方

好きな女にフラれた、とろサーモン久保田&スーパーマラドーナ武智

 今年の『M-1 2018』の放送終了後、とろサーモンの久保田さんとスーパーマラドーナの武智さんがSNS(インスタライブ)で生配信を行い、そこで審査員の一人である上沼恵美子さんの審査方法について批判を行いました。

 上沼さんを批判するときに用いたワードが差別的な表現であったこともあり、即座に炎上。事件が起きてから2週間近く経過した現在でも、事態が収拾する気配はありません。

 

 この件に関しては各界の著名人が苦言を呈し、もはや日本でこの二人を擁護する意見はほとんど聞かれません。

 僕自身も今回は上沼さんを批判する時に差別的なワードを使った久保田さんや武智さんが完全にアウトだと思うのですが、とはいえ自分の中にモヤモヤしたものがあり、どうしてもこの二人を責めきれませんでした。

 ここ数日「なぜ自分はこんなにもモヤモヤするんだ?」と考えていたのですが、ある時にふと答えが分かりました。

 それは「この二人の態度が、長年付き合っていた彼女からフラれた時の男の態度そのものだったから」です。

 

 

役員を批判した若手社員

 まず最初の僕のスタンスとして、久保田さんや武智さんが行ったことは完全にアウトだと思っています。
 それは差別的なワードを使ったからどうのこうのではなく、そもそも吉本の芸人さんが上沼さんを苦言を呈すこと自体が(吉本の)会社的にタブーなのです。

 M-1は吉本が主催した漫才コンテスト番組で、そこに審査の公平性を出すために松本人志さんが「他事務所で女性で、かつ漫才師としての実力がある」ということから上沼さんに頭を下げて審査員を務めてもらっているという事情があります。
 審査員などどんな点数をつけても批判され、誰もやりたがらない中をわざわざ引き受けてもらっている中で、それを同じ吉本の芸人が批判するなど言語道断。

 普通の会社で言うならば、会社の幹部が頭を下げて就いてもらった外部相談役に対し、若手が「あいつに一体何が分かるんだ」と批判するようなものです。

 会社という組織を運営する以上は規律を保つために、そう言った若手に対して何も処罰をしないというのはありえません。ある程度仕事を干されるのもやむ無しと言ったところでしょう。

 

サービス精神が招いた悲劇

 一方で上沼さんにも全く問題がなかったかというと僕はそうも思っておらず、多少配慮が足りなかったかなとも感じていたりします。

 M-1は現代の漫才の賞レースで1番大きい大会で、しかも年末のゴールデンに3時間近く生放送で中継され、この時代にあって視聴率も20%近く獲得する怪物コンテンツです。
 漫才師がこのコンテストの結果次第で進退を決めようとしている中、審査コメントを求められた時の第一声が「私に振らんといて。この子達は好きだけど、ネタは嫌い」と言うのは、いささか配慮がなさすぎると思うのです。(ジャルジャルのネタを審査した後のコメント)
 他のコンビに対しても自分の好き嫌いで審査をしているようなコメントが多く、例えばハゲによる自虐ネタを展開したギャロップに対しては辛辣なコメントをする一方、同じく自虐ネタのミキに対しては好意的なコメントをしています。

 M-1の放送直後は僕もこの上沼さんの態度に疑問を持っていましたが、今振り返ってみると、これも上沼さんに行き過ぎたリップサービスが引き起こした悲劇なのかな、とも思います。

 上沼さんは自身の番組でも歯に衣着せぬ発言で、芸能人を実名でズバズバと斬っていく芸風が好評を博しています。
 そしてこのM-1も、我々は芸人さんたちの面白いネタを見たいと思う半面、どこかで失敗する姿も見たいと思っています。芸人さんがこの日のためにネタに磨きをかけ、絶対に失敗できない中で、あまりの緊張感から失敗してしまう。そしてそれを審査員から辛辣な言葉を投げかけられてしまう。
 心のどこかで"公開殺戮ショー"を見たいと思う心理があって、上沼さんはその期待通りの処刑人を演じただけなんです。それが視聴者にも芸人さんにも悪い方向でオーバーに捉えられてしまい、これは一種の悲劇に近いものがあります。

 

好きな人からフラれた時、人は素直な心を持てるか

 今回の騒動を経て、著名人から一般人まで二人に対して様々な批判が投げかけられました。

  • 酒に酔ってSNSで他人を非難するとは、大人のすることではない
  • 審査に不満があるなら出なければいいだけ
  • 不利な審査をねじ伏せるだけの芸を身につければいい

 確かに言っていることは分かる。酔った勢いでやっていいことではないし、不満があるなら出なければいいし、お客さんをドッカンドッカン笑わせて、審査員全員に「コイツに票を入れないほうがおかしい」と思わせるぐらい面白いネタをやればいい。

 でもね、人ってそんなに素直にポジティブなことって考えられるものでしょうか?

 例えば僕ら会社員は普段の仕事でも上司から色々とダメ出しされる機会はあって、中にはどう考えても上司の機嫌一つで出ただろって思うようなものもあるじゃないですか。上司から企画書を作るよう命じられて、1週間徹夜しながらなんとか書き上げたものを渡すと、最初の数ページだけ見て「この企画書、なんか読みにくいんだよなー」と返却される。
 その時に僕らは「自分の努力が足りなかったんだ。事前に上司にフォーマットについて細かく指示を仰いで確認し、それでいて上司が唸るようなアイデアを盛り込めばよかったんだ!」と素直に思えるのでしょうか。

 特にこのM-1は若手のお笑い芸人であれば出場することは必須で、仮に審査方法に不満があったとしても「出ない」という選択肢はありえません。「出ない」時点でもう審査員を務める大御所芸人批判になってしまいますから。
 なまじ若手漫才師でこのM-1に出たくない人なんていないと思うんですよ。みんなM-1で優勝することを夢見て、仮に優勝できなくても決勝に残れれば全国度の知名度が手に入れられる。そこからブレイクする可能性だってあるし、仮に優勝できなくてもM-1ファイナリストとして営業の仕事も今まで以上に入れられます。
 だからこそそんなM-1に懸けてネタに磨きをかけ、色んな場所でライブを開催し、お客さんの反応から「ここでボケを増やすか」「このボケはウケが悪いから削るか」なんてやっている。
 こっちのライブで爆笑をかっさらったボケも、別の会場だと滑り倒して、あっちの会場だとスベったボケはそこだと爆笑をとる。正解がない作業を何回も何回も繰り返し、「これで勝負できる!」と思って仕上げたネタがなぜかM-1の会場でダダ滑りして終わる。

 そんな作業を繰り返し繰り返し、中には耐えられない屈辱もあったでしょう。それでもM-1で決勝に行けたら人生を変えれる。ただそれだけのためにじっと耐えて耐えて耐えて、やっと、遂に、M-1の決勝の切符を勝ち取るわけです。

 そしてやっとの思いでたどり着いたM-1の決勝も、ネタをやってみれば思うような結果が出ない。でもまぁ全力を出し切ったからいい。あとは審査員に公正に点数をつけてもらうだけだ。

 そんな中で出た言葉。

 「あんたたちのネタ、嫌い

 ちょっと待て、俺らが15年かけて、努力に努力を重ね、何度も屈辱を受けた末にたどり着いた場所は好き嫌いの一つで左右されるものだったのか!?
 若手の頃、知名度もまったくないことは営業に行ってもお客さんから「誰だコイツら?」となり、こっちがどれだけ面白いと思ったボケを言っても全くの無反応。結局クスクス笑いが一つ起きただけで逃げるようにしてステージから降りる。「くそっ、今に見てろよ。絶対に実力をつけてお前らを見返してやるからな!」
 その後ネタを磨きに磨いて業界内では評判になるものの、全国的な知名度はイマイチ。だが遂にやっとM-1の決勝に行けることになった! これでお笑いのレジェンド達にネタを評価してもらって、俺らは全国区になるんだ!!
 ・・・えっ、あんたたちのネタは嫌い・・・?? 俺らが夢見てきたこの場所は日本のお笑い界の中で最も公正にジャッジされる場所じゃないのか?? なんでだよ! 俺達の15年の努力は一体何だったんだよ!!!!

 二人を非難する言葉の中に「人生自分の思い通りにならない事のほうが多い。二人はそれを知るべき」というものがありました。ですがお笑い芸人をやっているこの二人はどう考えても普通の人よりも自分の思い通りにならない経験をずっとしてきてると思うんですよね。
 とろサーモンの久保田さんはM-1でも10回準決勝に進出して、最後にやっと決勝進出してからの優勝。スーパーマラドーナのお武智さんも長いこと準決勝でくすぶっていたところからの4年連続決勝進出、だけれども惜しいところで結果を残せていません。
 今回の一件でも本来であればとろサーモンの久保田さんはM-1王者になっているわけですから批判なんかしなくてもいいんですよ。だけどかつて自分が決勝に進出し、1点でも多く審査員からポイントを得るためにしのぎを削っていたのに、その場がまさか審査員の気分ひとつで左右される場だと知って思わず上沼さんに暴言を吐いてしまったのです。

 昨今の自己啓発書やビジネス系の本でも「何か自分に不都合なことが起きたら、それは自分のせい。自分を変えることでしか環境は変えられない」と盛んに叫ばれています。
 ブログでもTwitterでもこの手の言説はよく見かけるのですが、僕はそれを見るたびにこう思います。

 何でもかんでも自分のせいだと思えるほど、人は強くないよ

 今でこそ僕も自分の人生を変えるべく、毎日勉強してそれをブログで発信したりしていますが、それでも時折自分の能力のなさを周りの環境のせいにしたくなってしまいます。上司の細かい指摘も、自分が仕事をできるようになればいいだけ。好きなあの子に相手をされたいなら自分の魅力を上げればいいだけ。分かってる。分かってるけどなかなか努力ってできないじゃないですか。

 今回久保田さんと武智さんの騒動を見ていて思ったのは、お二人の反応が長いこと付き合っていた彼女からこっぴどく振られた時の男そのものだな、ということです。

 長年付き合っていて、必ず幸せにしてやりたいと思っていた彼女。それが最後の最後でフラれてしまった。しかも「あなたのことは元々そんなに好きじゃなかった」とまで吐き捨てて。
 えっ、これだけ俺が尽くしていて最後にそんな事言うのか・・・?
 くそっ、俺はなんでこんな女を好きになってしまったんだ。・・・でもあいつのことはまだ好きだ。でもそれと同時にあいつが最低な女だってことを世間に知らしめてやりたい。くそっ!!

 長いこと好きだった子からフラれたときって本当にツライですよね。1秒毎に「まだあの子のことが好きだ」という思いと「アイツに痛い目に遭わせてやりたい」という憎しみが交互に押し寄せてくると思うんです。
 ここで素直に「あぁ、俺の魅力が足りなかったのがいけなかったんだなぁ」と思える人はなかなかいないと思います。

 だからこそ今回僕は二人に、過去自分が失恋した時の姿を無意識に重ね合わせてしまい、キッパリと批判することができなかったのです。

 確かに彼らのしたことは間違いだと思うし、社会的な罰も甘んじて受けなければいけません。でも彼らは決して世間から言われているほど自分に甘い人間ではないと思うんですよ。

 何年も努力した末にそれが裏切られたと思ってしまった男たちから酒の勢いもあってポロッと出てしまった一言ぐらい、寛容になれる社会であったらいいなと思った一件でした。



-考え方

© 2024 名古屋とエンジニアリング