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フィリピン語学留学

俺のフィリピン留学記録 Vol.6(6週目)

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※本記録については留学終了後に加筆修正や画像の追加を行います

 フィリピン留学も6週目となり、遂に前半戦が終了しました。

 想像以上にスピーキング能力の向上に苦戦しつつも、雑談をする程度であれば問題ないレベルにはなってきました。

この記事の筆者

・30代組み込み系エンジニア
・技術者としてのキャリアの伸び悩みを感じ、会社を退職
・9月から3ヶ月間フィリピン(セブ)で英語留学を実施
 ・一人部屋
 ・1日計6コマ
  ・マンツーマン:4コマ
  ・グループレッスン:2コマ

テクニカルライティングの授業

 以前にも一度軽く触れましたが、僕は6コマある授業の中で一番「テクニカル(パラグラフ)ライティング」が好きです。
 というのも日本では国語の授業でも原稿用紙の使い方こそ習えど、読者に効果的に内容を伝えるテクニカルな文章術ってほとんど習ってこなかったじゃないですか。
 そういった授業の物珍しさや、勉強をしていて今後の生活にも一番役に立つ感覚があるのが「テクニカルライティング」なのです。

 おそらく皆さんもテクニカルライティングについてはうっすらとご存知かと思いますが、効果的な文章の構成は以下の通り。

  • 主題(主張)
  • 理由1
  • 理由2
  • 理由3
  • 結論

 日本だとこの論理構成自体は聞きはするものの、指導者から添削を受けながら推敲していくことはなかなかないかと。
 でもこちらだとマンツーマンで授業を行うので添削もしっかりやってもらえるんですよね。

 まぁただ一つこの授業の難点があって、僕の担当講師であるマギーがかなりお喋りであるということ。
 調子がいいときは45分の授業で40分が旦那の愚痴で終わるということもあるので、まぁ進まない。

 ただマギーは講師内でも随一話しやすいので、スピーキング力のほうがメキメキ上がっていく感覚があるんですよね。

 …いや、俺ちゃんとライティング力伸ばしたいんだけど!!

 

止まらない咳とフィリピンの薬局

「お前ほんといつも体調悪いな」って感じですが、ちょっと前までは腹痛と吐き気、先週までは喉の痛み、そして今週は咳が止まらないので火曜日はさすがに薬局に行って風邪薬を買ってきました。

 薬局に行ったのはいいのですが、成分表示というか、どの薬がどの症状に効き目があるかって英語が難しすぎて分からないじゃないですか。それでGoogle先生に聞こうにもちょうどその薬局が僕の使ってるSIMでは電波が入らないので調べられないんですよ。

 それで10分ぐらい同じ棚を行ったり来たりしてたらさすがに店員のお姉さんが「どうかされましたか」と聞いてくれたので「風邪薬か咳止め薬を探してるんです」と言ったら「あちらでご相談ください」と返されました。

 あちらというのが薬剤師たちが待機しているところで、どうやらフィリピンは風邪薬を薬剤師にひと声かけて買わないとダメなようです。

 そして薬剤師の一人に声をかけ「風邪か咳止め薬を出してください」と言うとほぼ無言で薬を出されました。2日分4錠で50フィリピンペソ(125円)。安い。

 早速飲んでみたのですが、僕はサプリこそゴリゴリに飲むものの風邪薬系はあまり飲まないのもあってかみるみるうちに効果が出て… めっちゃくちゃ眠くなりました。

 

憤怒

 水曜日の出来事。

 部屋に戻る際、僕は2Fからエレベーターに乗ったんですね。
 で、エレベーターは1Fから来て、既にアラブ♂×ジャパン♀が乗ってたんです。

 この二人、恐らく1Fでエレベータを待ってるときに初めて言葉を交わしたっぽくて、すんげー初々しい感じで喋っとるんですわ。
 お互い、たどたどしい英語ながら「前に行った○○っていうビーチがすごいよかった」みたいなことを言ってるんですね。

 それで僕が乗り込む前から6Fと8Fのスイッチが押されていて、僕は10Fなので自分の階を押すと、後から僕が乗り込んだこともあってエレベーターボーイ的な役割をすることになりました。僕の背後でアラブ×ジャパンが話してるスタイルです。

 それでフィリピンのゲロ遅エレベータですから、ゆっくりと上の階に登っていくんですけど、その間に二人が「○○のスポットは良いらしくて、行ってみたい」みたいな話をしてるんです。でもどうやってもどっちかが「じゃあ今度そこ一緒に行こ」って誘い出すのを待ってる雰囲気なんです。

 この時点で僕もう脳の血管が切れそうなんですけど、そうこうしていると6Fに着いたんです。

 この時点でどっちかが降りるはずなんですけど、どっちも全然降りないんです。

 いやもうこんなん普通どっちかが「降りなくていいの?」って言うじゃないですか。それを言い出さない時点でコイツらデキとるんですわ。

 それで6Fの扉が空いている最中に誰かがダンスミュージックを爆音で流していたんです。それを聞いたアラブの方が

「そう言えば毎週水曜日と金曜日の放課後、ダンスエクササイズ教室がやってるらしいね」

 とか言い出すんです。
 そうするとジャパンが

「らしいね。私前々から行ってみたかったんだけど行けてないんだ」

 とか言うわけですよ。
 するとアラブがすかさず

「じゃあ金曜日一緒に行かない?」

 って誘ってやんの。

「行く行く!」

 とジャパン。
 もう顔は見れてないけど確実に頬を赤めながら上目遣いで言っとった。

 そこで8Fの扉が開くわけですよ。
 ジャパンの方がホクホク顔で出ていきながら「じゃあ金曜日行こうね。また明日どこかで会ったら声かけるね!」とか吐くんです。

 いやもうこの時点で僕もう脳みその血管10本ぐらい切れたし、英単語1000語ぐらい忘却してしまいましたわ。

 それでアラブ(本当は6Fで降りるはずだった)と僕で10Fまで行くことになるんですけど、その間アラブが小さい声で「oh...yes....yeah...」とか呟くんです。

 マジであいつらがダンスエクササイズ教室の話を始めたときに割って入って説教してやればよかった。お前らはなんのためにフィリピン来てんだと。真面目に勉強しろ!!

 国際交流で視野を広げても○は広げんじゃねーぞ!!
 憤怒!!!!

 

スクールドクター

 数日前から咳が止まらず、薬局で買った薬を飲みきっても改善されなかったので木曜日は医者にかかることにしました。
 体自体は問題なくて授業も出れるんですけど、とにかく咳が出るんですよね。

 弊校では毎週月曜と木曜にスクールドクターが往診に来てくれるとのことで、その制度を利用したのです。しかも海外旅行保険に入っていればタダで薬ももらえるそう。

 朝イチに学生課に行って事前受付をして、昼休みに医務室に行きました。

 所定の書類に症状やらなんやらを記入して、提出。
 ドクターは日本語不可なのですが、幸いなことに日本語⇔タガログ語の通訳の人がいて、その人に一通り症状を説明します。

 僕は症状が咳なので、体に聴診器を当てられて終了。
 診断結果は「それ、肺炎一歩手前じゃね?」とのことでした。

 「抗生物質を出しておきますんで、しばらくしたら取りに来てください。準備できたらLINEで連絡しますんで」

 そこから数時間したら連絡が来て、無事に薬をもらえました。

 いやー、多分ストレスで体が弱ってやられちゃったんでしょうね。

 

『セーラー服と機関銃』と『いつかギラギラする日』

 どこの語学学校でもそうだと思いますが、毎週新しい生徒が入ってきてはそれぞれのタイミングで卒業していきます。そして弊校は毎週金曜日が卒業式となっているのです。

 僕は基本的に面識がある人が卒業するとなれば卒業式が行われる教室に駆けつけて、式が始まる少し前に「またどこか出会えたらいいですね」と一声かけるようにしています。
 映画『セーラー服と機関銃』の主題歌に「さよならは別れの言葉じゃなくて再び会うまでの遠い約束」という一節があり、僕はこの歌詞がすごい好きなんです。
 この先の人生でどこかで会うなんてことは、まずありえない確率なのですが、それでも万が一再会できたときに笑顔で声をかけれるよう最後ぐらいはいい記憶を残しておきたいんですよね。

 そして今日は以前(DAY23)で朝から晩まで勉強する姿を見て全身がカーッと熱くなった拓哉君の卒業日でした。

 彼とはグループレッスンで一緒ではあったものの、寡黙な人柄ということもあってそこまで深く話すことはありませんでした。しかしどこかお互いを意識するようなところがあり、それに引きづられグループレッスン全体も活気づいた良い雰囲気で授業が進行していました。

 そしていつものように卒業式前に教室に駆けつけ、最後一言だけ挨拶しようと思ったところ、拓哉君の方から「どうせならこの後、夕飯に行きませんか?」と誘ってもらえました。

 そこで初めてお互いの身の上を話したのですが、彼は新卒3年間不動産営業マンをやったあと、このフィリピンの地に来たそうです。

 「なんで不動産営業マンを選んだの?」

 と聞いたところ

 「勤務年数にかかわらず、自分の頑張りがダイレクトに反映されて、大きく稼げる営業職をやりたかったんです。でも不動産営業マンは多かれ少なかれお客さんに嘘をつかないといけないところがあって、それが自分には少し合ってないなぁと感じて。でも新卒3年間はキッチリ勤め上げようと思って、実績は出しつつなんとか3年は働きました。お客さんとコミュニケーションを取ることは好きなんで、英語を覚えて次は貿易関係の仕事をやれたらいいかなと思ってます」

 と返ってきました。

東城「俺さ、拓哉君が朝から晩まで勉強してる姿を見てめちゃくちゃ触発されたんだよ。自分より年下の子がこんなに勉強してるのに、30歳超えたオッサンがサッサと寝てたらダメだろと」

拓哉君「僕も最初東城さんが同じグループクラスに来たときに講師にガンガン発言してるのを見て『既に何ヶ月も滞在してる自分が喋る量で負けてたらダメだろ』と思って本腰入れて勉強するようになったんですよ」

 

 近くのショッピングモールで夕食を済ませた後、二人でコーヒーをテイクアウトしつつ、ゆっくりと学校に向かって歩きました。

 道中、お互いしきりに「人との出会いって、本当に運だよね」という話をしていました。
 もし僕達が別のグループレッスンに配置されていたら所詮お互いのことを "自習室でよく見る人" ぐらいにしかならなかったでしょう。互いに触発されて一段ギアを上げて勉強することもなかったでしょうし、何より楽しく授業を受けることもできなかった。

拓哉君「東城さんは最上階にジムが付いた名古屋のタワマンに住むってことで、僕は世界中を飛び回りつつもリッチな生活を送るってことで、お互い夢叶えましょ!!」

東城「いいね、俺らならきっとやれる気がするよ(笑) …またいつかどこかで会えたときは、そのときはヨロシク」

 そう言いながら僕は日本に帰る拓哉君を見送るのでした。

 

組み込み系の人間であるということ

 休みの日に学校の外に出てみると、かなりの数の日系企業の製品であったり、看板を見かけたりします。ひとたび幹線道路に出てみれば、道を走る車のほとんどはトヨタ、三菱、日野の自動車です。
  特にフィリピンに来て何かと心細い時期に、こういった日本製の商品を見かけると、とても勇気づけられ、自分の国が誇らしい気持ちになりました。

 自分が人生で一番嬉しかったことは「自分の担当した製品が世間に向けて発売されたこと」です。
 大学に入って以降、やることなすことがことごとくうまく行かず、自分は社会にとって不必要な人間なのではないかと思っていたところに、自分の担当した製品が発売され、微力ながらも社会の役に立てていることに非常に感動したことをよく覚えています。
  直近で自分が担当していた製品は、あいにくまだこのフィリピンの地では見かけていませんが、海外には輸出されているので、どこか海外の国では自分の書いたプログラムが走っているのかと、想いを馳せずにはいられません。

 やっぱり、ワールドワイドに誰かの役に立てる仕事っていいなって思うんですよね。

 近年、日本は国力を落とし、世界に対してその存在感を低下させてしまっていますが、それでもポテンシャルはまだまだあると思っています。国民全員がこれほどの学力や勤勉さを有している国って他にないと思うんですよ。

 高い学力と勤勉さってモノづくりに非常に向いています。
 何よりも世界に商品を輸出しやすい組み込み系(家電系)エンジニアの人口がもっと増えて、かつてのように日本製品が世界を再び席巻できたらいいなぁと思いました。

 

前半戦終了

 フィリピンに来て6週間、僕のこの留学の前半戦が終わりました。

 前半戦を振り返ってみても、特に初日はあまりにも日本とは文化の異なるフィリピンに「自分はとんでもないところに来てしまった」と来たことを後悔しホームシックになってしまいました。
 何よりも自分はシングルルームであったのと、スタッフに日本人が常時配置されているわけではないので何か困ったことがあっても簡単には他人に助けを求められないという状況が一番苦しかったです。

 授業についてはTOEICで鍛えたリスニング力とボキャブラリーがあるので、ただ授業を「受ける」という行為については何も問題ありませんでした。相手の言っていることはほぼ分かるし、返答についてもボキャブラ力があるので単語さえ並べていればとりあえず自分の意思は伝えられる。

 でもやはり自分が思ってる以上には英語力は伸びてません。
 前半終了時の僕の想定していた英語力を100とするなら、現在の英語力は20からよくて30ぐらいしかありません。
 自分はTOEIC860は超えているし、ボキャブラリーも豊富に頭に入れていったので、あとは授業を受けていれば半自動的にスラスラと話せるようになるかと思っていました。

 でも現実は全くそんなことなかったです。

 僕は特にこの留学でスピーキング力の向上を狙っていたわけですが、スピーキング力を向上させるってものすごく難しいんですよね。最近になりその難しさには二段階の理由があると気づきました。

 

スピーキングを行うためにはスピーキング用のボキャブラリーが必要になるから

 リーディングスキルやリスニングスキルは、正直単語や熟語の意味を次々と覚えていけば、なんとかなるものです。単語さえ分かっていれば文全体のニュアンスはなんとなく分かってしまいますからね。

 でもいざ自分が喋るとなると、なんとなくそれっぽい単語をつなぐわけにはいかない。もちろんそれっぽい単語をつなぐだけでも自分の意思を伝えることは可能なのですが、文法を正しく理解せず、ただそれっぽい単語を並べるというのは聞き手に猛烈なストレスを与えることになるので、コミュニケーションとしては成立していないのです。

 なので英会話として「こういうシチュエーションではこういう単語を使う」という話す用のボキャブラリーが頭に入っていないとダメなのです。

 

スピーキングは復習が猛烈にしにくいから

 例えば授業の中で「昨日はエアコンが故障して、冷たい風が出てこなくて困った」という英語が出てこなくて詰まってしまったとしましょう。その時はとりあえず日本語でメモを取り、あとから英語ではどういうふうに言えばよかったか調べたところで、その調べた英文を次にいつ使うかは不確定で… というより使うことはほとんどないのです。

 エアコンが故障してその体験談を講師に英語で伝えるのに苦労したというのは僕の実体験ですが、恐らくここで調べた英文は残りの留学生活で役立つことはないでしょう。仮にあったとしても1回出るか出ないかぐらい。

 リーディングやリスニングの場合は間違えたら後日同じ教材を繰り返せばよいだけですが、スピーキングはそういった復習の機会がものすごく少ないのです。

 とはいえ、想定よりもスピーキング力が伸びていないだけで、改善がまったくないというわけではありません。

 海外旅行で店員さんやホテルのフロントと話すぐらいであればもう問題ありませんし、同じ学校の気心知れたメンバーであれば2時間ぐらい雑談をすることができるようになりました。

 この前半戦はものすごく長いような気もしたし、すごく短かったような気もします。

 残りも頑張ってスピーキング力を伸ばしていきたいと思います!

次回
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俺のフィリピン留学記録 Vol.7(7週目)

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