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俺のフィリピン留学記録 Vol.11(11週目)
※本記録については留学終了後に加筆修正や画像の追加を行います 遂にフィリピン留学も残り1週となりました。 今まで「自分は英語ができない」と思っていましたが、ふとしたタイミングでそれなりに英語ができ ...
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※本記録については留学終了後に加筆修正や画像の追加を行います
遂に3ヶ月に及ぶ留学生活が終わりました!
最後にこの1週で劇的に英語力が伸びたこともあり、大満足な留学生活でした!
※1日ごと1エピソードとなっています
この記事の筆者
・30代組み込み系エンジニア
・技術者としてのキャリアの伸び悩みを感じ、会社を退職
・9月から3ヶ月間フィリピン(セブ)で英語留学を実施
・一人部屋
・1日計6コマ
・マンツーマン:4コマ
・グループレッスン:2コマ
日常会話の覚醒
先週土曜日(つまり2日前)に「ホテルの帰りにGrabTaxi使ったらその運ちゃんがお喋りだったのもあって、道中20分ノンストップで会話ができて自信がついた」というお話をしました。
11月に入ってから「残り数週間で当初の目標としていたビジネスレベルなんて遠く及ばないじゃないか」と陰鬱な気持ちになっていたのですが、とはいえ英語力自体はかなり伸びているんですよね。
フィリピン留学は終わりということで「もう残りの期間は好きなように英語を喋ってやろう」と気持ちを切り替えたらこれが喋れること喋れること。
今日はマンツーマンの講師は基本的に全部フリートークにしてもらったのですが、どの講師相手でも45分途切れることなくぶっ続けで話すことが出来ました。
というか「今までのあのたどたどしさは何だったの!?」というぐらい急に話せるようになって自分でも驚いています。
なんというか英語が勝手に口から次々と出てくるんですよね。
今日は英語を話していて心の底から「楽しい!」と思えました。
日常会話の覚醒2
いやもうホントにね、今までのもがき苦しみは一体何だったんだっていうぐらい日常会話が話せるようになりまして。
もちろん文法的には間違いばっかりだし、使ってる単語のレベルは低いのですが、言葉が次から次へと出てくるんですよ。
今日もマンツーマンの授業は全部フリートークにしてもらって、45分×4コマは全部ぶち抜きでずっと話してました。
英語が達者になってきたからこそ聞けるネタがあったので、色々と話をしました。
- どの国の生徒が一番英語力を伸ばす傾向がある?
- 国ごとの国民性って講師から見てどう思う?
- この職業始めていろんな国籍の生徒を相手にしたと思うけど、何がカルチャーショックだった?
特に今日のラストのマンツー授業は最期のマンスリーテスト対策も兼ねて「適当に単語をピックアップするので、それにまつわる意見や自分の体験を話す」というアクティビティを実施してもらったのですが、これがもうハマりまくって1トピックだけで10分近く自分が一方的に喋ってました。
例えば最初に「apple(リンゴ)」というお題を出されて、お題を出された直後は特にリンゴに対して意見や体験談もないので「そういえばAppleで思い出したけどスティーブ・ジョブズのスピーチを最近YouTubeで観たんだよ。その話していい?」と言ってあの伝説のスピーチの話をしたり、話してる途中で実家に昔リンゴの木が植えてあったことを思い出して「そういえば実家で昔バァさんがリンゴの木の面倒見てたんだけど、虫が寄ってきたりして大変だったから結局切り落としちゃったんだよね」という話をしました。
もうとにかく授業が今楽しくてしゃーない状態なので、早く寝て明日の授業を待ちたいと思います。
ただもうテキストを進める気は全く無くなったんだよな(笑)
フィリピン名物、豚の丸焼き「レチョン」
日常会話が自由にできるようになって、嬉しさのあまり授業はテキストではなく全部フリートークに変えてもらっていたのですが、月・火・水とぶっ続けてフリートークしていたらさすがに話すこと尽きてきました\(^o^)/
話すのも飽きたのと、卒業を目前に控え勉強のやる気も無くなったで、放課後は外をブラブラと散歩することにしました。
僕は留学期間中とにかく出歩かなかったので、今回はあまり行ったことのない道を行きました。
すると野外フードコートがあるじゃないですか。
そこで見つけたのはフィリピン名物・豚の丸焼き「レチョン」です。
フィリピンではよく露店で豚が売っているのですが、今回見つけたお店では本当に豚一匹丸ごと飾っていてビックリしました。
せっかくなので食べてみたいのですが、このタイミングでお腹を壊したら最悪なのでグッと我慢します。
金曜日が卒業式なので、その後にでも食べに行きましょうかね。
マンスリーテスト3rd
今日は留学生活最後のマンスリーテストがありました。
※Entry→1st→2nd→3rdの順で過去の結果もすべて記載
Entry | 1st | 2nd | 3rd | |
Listening | 35% | 43% | 62% | 78% |
Reading | 43% | 83% | 86% | 90% |
Writing | 35% | 38% | 50% | 38% |
Speaking | 30% | 45% | 55% | 63% |
僕の目標としては「マンスリーテスト3rdでは各教科すべて80%オーバー」としておりましたが、未達となりました。
でも僕としてはこの結果にとても満足しています。
各技能の所感
Listening
マンスリーテストのスピーカーの音質が悪いことは分かっていたので、今回もテスト開始の30分前には現場入り。スピーカーに最も近い座席を確保しテストに臨みました。
ここ一ヶ月でリスニングの勉強法が確立してきた感じがあったので納得のスコア。特に画期的な勉強法というわけでもないですが、既に理解できている英文音源を何度も何度も何度も聞き直し、英語を言われただけでイメージが頭の中で勝手に浮かぶようにトレーニングしました。その結果が出てきた気がします。
Reading
以前から言及している通りTOEICをやり込んでいるのでここは得点源。
今回は「満点あるか!?」というぐらいの手応えだったのですが実際は90%。とりあえず前回からドロップすることなく、よかったです。
Writing
これに関しては完全に時間配分ミスで、エッセイをすべて書ききれませんでした。書けたのは全体の30%ぐらいかな。
以前まではWritingが60分与えられていたのに、今回は30分しか与えられず、いきなり「あと5分で終了」と言われ焦りました。
もし全部書ききれていたら60%は超えていたとは思いますが… Writingは採点基準が謎なのでどうなったか分かりませんね。
Speaking
納得の結果、というより現状出せるスピーキング能力は全部出しきったかと思います。
今回は面接官との相性もよく、論理構成もちゃんと成立して話せました。
全体
全科目80%という半ば無茶な目標には未達ではあったものの、概ねどの教科もスキルが伸びていって納得の結果です。
Writingは時間配分ミスがあったのでしょうがありませんが、最後のテストで自分としては納得できるスコアが出せてよかったです。こうやって客観的に自分のスキルを判定してもらえるものがあるのは良いですね。自分なりにこの留学生活は頑張ったんだなと納得することが出来ました。
卒業-グラデュエーション-
さて今日が遂に卒業の日となります。
僕は既に授業のモチベーションを失っているのと、今日はみんな最後の授業ということでフリートークに。
(まぁ今週一週間はずっとフリートークでしたが)
前々から僕はラストの授業で講師にやりたかったことがありまして。
それは「『メッセージカードを書いてきた』と言って書いてきたメッセージの内容を読み上げるのだけど、いざカードを渡すと全くの白紙」というものです。
これ、赤塚不二夫が亡くなったときにタモリが告別式でやったことなんですよね。いわゆる「勧進帳」というやつです。
それでいざ授業の最後でやってみるとみんなボロッボロ泣くのな。
あまりにもみんなキレイに泣くのでこちらももらい泣きしそうになるのと、読み上げてる間「(でもこれ白紙なんだけどなぁ…笑)」という複雑な感情が渦巻いていました。
結局そのあと僕が読み上げていたメッセージカードが白紙だと分かるとみんなピタッと泣き止んで、爆笑しながら僕のことを殴打してきました(笑)
総じてみんないいお別れの儀式になりました。
一通り授業が終わるとそこからは卒業式に。
卒業式では有志の生徒がスピーチを行うのと卒業証書の授与がありました。
授与の後はそれぞれに別れて個別で写真撮影に。
同期や講師と写真を撮り終わると、いよいよ解散となります。
卒業式が終わった後、僕は同期の彰君と一緒に近くのフードコートへ行きました。
彰君についてはあまりこのブログでは登場していませんでしたが、普段から一緒に勉強したりモールに行ったりと非常に良い関係を築いたいたのでした。
道中僕らは「いやー、ほんとに僕らは今日で卒業しちゃうんですね」と話していました。
入学した当初はお互いビビリなので学校前の道路を歩くだけでもビクビクしていたものですが、今やすっかり平気になりました。
普段はお酒を飲まない僕らもこのときは次から次へとビール瓶を空けました。
- 着いて早々ホームシックになったこと
- 思うように伸びない英語力にずっと悶々としていたこと
- 周りが遊んでいる中、自分たちだけ勉強しているのに、それでも上達せず悩んだこと
- 僕らよりも鬱入っていた別の同期が校内で彼女ができた途端嘘のように元気になってイラッとしたこと
色んな思い出話に花を咲かせました。
最初はあれだけ帰りたいと思っていたフィリピンも今では「なんか帰りたくないですね」と言ってずっとダラダラ飲んでいました。
たださすがに明日のフライトもあるので、23時前にはお開きに。
学校からフードーコートまでは1kmもない距離で、入学当初はものすごく長く感じたこの道のりも、今日は特別に早く感じました。
エレベーターで別れるとき「またどこかで会いたいですね」と言って僕らは握手をし、最後のお別れをしました。
マニラと人生最大の危機
昨日は無事に卒業式を終え、一晩明けて意気揚々と空港に行くと、空港側から「飛行機の遅延とそれに伴う欠航でマニラから日本に帰せません。マニラでホテルを用意するので明日日本に帰ってください」と言われました。
僕としては一刻も早く日本に帰りたかったのですが、ここで返金を求めて他の航空券を買おうとしても楽天カードが使えない可能性が高いし、下手な事態に陥っても嫌なので「これも人生経験だな。それにマニラも散歩してみたかったしいい機会だ」と了承しました。
欠便のお詫びということで航空会社からは以下の3つが渡されました。
- ジョリビー(フィリピン版マクドナルド)の180ペソ分クーポン
- マニラ空港からホテルまでのトランスポーテーションチケット
- ホテルのチケット
ジョリビークーポンについてはセブ空港内でしか使えないということで慌てて使おうとしたのですが時間切れで結局使えず。
お腹も空いていなかったのでまぁいいかと思い、当初の予定からは大幅な遅延が出つつセブからマニラへの移動は完了しました。
マニラに移動してホテルに行かないといけないのですが、このトランスポーテーションチケットというのが謎で近くにいた職員何人かに聞くものの不正確な情報を教えられ少したらい回しにされたので泣きそうになりました。
で、このトランスポーテーションチケットというのはタクシー券だそうなのですが「今タクシーが出払っていてシャトルバス(ハイエース)を出すから30分ぐらい待って」と職員のオバちゃんに言われました。
ここまで来るとかなり疲労が溜まっていて特になにかすることもなくボーッとしていました。
しばらくするとオバちゃんから「シャトルバス来たから乗りな」と促されます。シャトルバスと言いつつも乗客は僕だけの完全なワンマンタクシーなんですけどね。
今回の運転手さん、名前は失念しましたが44歳の陽気なオッチャンで、以前GrabTaxiを使ったときのアントニオさん以上に下手な英語なのですがめちゃくちゃ喋る。
正直僕は疲れていてあまり話したくなかったのですが、せっかくの縁だからと身を乗り出して話すことにしました。
お互いの英語が下手ということもあってところどころ聞き取れないもあったのですが、可能な限りマニラのことを教えてもらいました。
- セブは電車がないけれどマニラは電車が走ってる
- ラッシュアワー時は日本と同様に女性専用車両がある
- マニラの警察は特に腐敗していて、賄賂を強要されるから気をつけろ
最初はやる気がなかった僕ですが、話しているうちに気分もノッてきて、最後には二人でノリノリでドライブしていました。
そしていざホテルに着いてみると、なかなか豪華なホテルでビックリしました。
で、エントランスに行こうとしたところで気づきました。
バスの中に財布忘れた!!!!!!!!
セブで生活しているとき基本的に僕は斜めがけバッグに財布を入れているのですが、今回は飛行機に乗るということで着ていて楽なPUMAジャージを履いていたんです。
普通にしている分にはPUMAジャージを着ていても財布がポケットから出ることはありませんが、今回はシャトルバス(ハイエース)の中で変な体制でドライバーの話を聞いていたのでポロッと長財布が落ちてしまったのです。
慌ててシャトルバスを追おうとするも当然行ってしまっています。
僕の必死の形相に近くにいたフィリピン人の警備員も「お前どうしたんだ!?」と近づいてきますが、説明できるわけもなく。
あの中には免許証もマイナカードもクレカもETCカードも、大事なものがすべて入っているのに!!
警備員が必死に「落ち着け。何が起きたんだ?」と言うのですが、僕は説明ができません。
東城「さっきのバスの中に財布を忘れたんだよ」
警備員「運転手とは連絡は取れないのか?」
「それが取れないんだよ。連絡先知らないし」
「会社も分からないのか?」
「いや、このシャトルバスは特別に出されたもので…」
「なんだ特別っていうのは?」
「そのフライトがキャンセルされて… その… 普通の送迎バスじゃないんだよ」
「じゃあどこから乗ってきたんだ? なんかチケットとかないのか?」
「マニラ空港だけど、特別なクーポンがあって… それは全部向こうに持っていかれちゃって」
「まぁいい。とりあえずフロントのやつがお前の話を聞いてくれるはずだからそこで相談してみろ」
もうこの時点で人生最大の危機で、不安で僕の英語はメチャクチャです。
フィリピンで財布を無くして返ってくるわけがないじゃないか。
フロントで対応してもらうとさすがに向こうは慣れているのか、淡々と質問をしてくれます。
「財布をなくされたとのことですが、本日の行動を最初からお話しいただけますか?」
こう言われると僕も落ち着きを取り戻し、順を追って話ができました。
今日はフライトが欠航になって、ご存知の通り航空会社からこのホテルに泊まらせてもらえることになった。セブからマニラに着いてトランスポーテーションチケットでシャトルバスを出してもらったのだけど、ハイエースで18:00にマニラ空港の第2ターミナルを出たはずだ。
そうするとフロントの女性は淡々と処理を進め「今ドライバーとコンタクトを取ろうとしています。詳細が分かり次第追って連絡しますので、部屋で待機して電話をお待ち下さい」と言ってくれました。
そうして部屋に移動するのですが、その間気が気じゃありませんでした。
まったくなんで最終日に限って便が欠航になってその上財布を無くすんだ… 欠航にならなかったら財布なんて無くさなかったのに… そんなフィリピンなんかで財布なんか戻ってくるわけがないだろ……
と思っていたら15分ほどで内戦にコールがかかり「ドライバーが今来ていますので、そちらまでお向いください」とのこと。
慌てて駐車場に行ってみるとさっきのドライバーが満面の笑みで立ってるじゃないですか。
それで後部座席のドアを開け
「よう、ナイスガイ。俺は後部座席は何も触ってないから好きなだけ調べてくれ!」
と言うじゃないですか。
で、後部座席を開けるなり、財布はシートの上に落ちていました。
よかったー!! 財布無事に戻ってきた!! 中の免許証とかクレカも全部無事!!!!
僕が狂喜乱舞しているとその姿が面白かったのか警備員が動画回してました(笑)
ひとしきりドライバーには感謝の意を告げると、チップとして××××ペソ渡しました。
財布、戻ってきて本当に良かった。
人生最大の危機だった。
帰国
マニラでの予定外の滞在を経て、僕は日本の地へと戻ってまいりました。
遂に僕のフィリピン英語留学は正真正銘の終りを迎えます。
帰国にあたり、このフィリピンへの留学ですが、全体を振り返ってみたいと思います。
最初は中部国際空港から飛行機に乗り込む時点で僕の心臓は破裂しそうになっていました。今まで海外に一人で行ったことなどなく、海外での生活はもとより、無事にセブに到着できるのか不安で仕方がありませんでした。
そして飛行機が離陸した時「あぁ、自分はもう後戻りできないんだな」を思ったのをよく覚えています。
フィリピンでの生活は特に序盤が厳しかったです。
特に体調不良には長いこと苦しめられ、風邪薬の箱の裏に書かれているような基本的な疾病はすべてなったと思います。
環境も日本とは大違いで、まず水道水が飲めないのでいちいちウォーターサーバーまで水を汲みに行かないとダメだし、シャワーは温水が出ない。エアコンもすぐに壊れるし、修理してもらって直ったかと思えば冷風は出るものの異音がしたり勝手に電源が点いたりと、日本では考えられないことが次々と起こりました。
一歩外に出ても周りのあらゆるものに恐怖感を覚え、自分の後ろをバイクが通るだけでドキドキしていました。
遠出をしてみたいと思うものの臆病な自分にはバスですら乗るのが難しかったです。
英語力も着いて早々に出鼻をくじかれます。
既に何ヶ月も滞在している先人たちが思ったより英語が話せない様子を見て「自分も意識的に勉強しないと勝手に英語力は伸びないんだ」と思いました。実際に授業を受けてみても3〜5単語並べるのがやっと。どれだけ授業を重ねてみても伸びないスピーキング能力にほとほと嫌気が差しました。
そして前述の通りエアコンが壊れたときに、スタッフに「エアコンが故障して、冷たい風が出ない」と伝えようと思ったときに、英文が全く出てこずに「俺は数千時間も英語を勉強しているのに、こんな簡単な英語も喋れず一体何をやっているんだ…」と本気で絶望しました。
僕が当初目標として掲げていた「ビジネスレベルの英語力」には遠く及ばず、割とつい最近まで落ち込んでいたのですが、先日利用したタクシーでは運ちゃんと20分ぐらい最初から最後まで小粋なジョークを交えながら話すことができ、「いや、確かにビジネスレベルではないけど日常会話なら全然問題なく使えるじゃん!」と我ながら感動してしまいました。
それからというもの、心の中のブレーキが外れたのか日常会話レベルであれば英語がスラスラと出てくるようになりました。
特に覚醒したあとの留学ラスト一週間は喋るのが楽しくて仕方なくて基本的にマンツーマンの授業はすべてフリートークにしてもらったほどです。
時系列は前後しますが、ショッピングモールに行ってもそこの店員と雑談を交えながら商品を探したり、はたまたコーヒースタンドに入ってみれば偶然居合わせた別のお客さんと他愛のない話を出来たりもしたので、他の人から見たら「東城さん、めちゃくちゃ英語喋れてるじゃないですか!」と言えるレベルにはなったのかなと思います。
少なくとも語学力に関しては自信を持って「大幅な改善が見られた」と言えます。
特に同期である韓国人のスウォンとのやりとりは僕に大きな勇気を与えてくれました。
お互い日本語と韓国語という、通常であれば意思の疎通が図れない中、英語という共通言語を得て色々な話をしました。3ヶ月という期間の中でここでは言えないような話が多くでき、自分の価値観は大きく変わりました。
今まで自分にとって英語は受験の一科目であったり転職のための手段であったりと、割とネガティブな印象しかなかったのですが、彼とのやり取りの中で「英語はあくまでも誰かとコミュニケーションを取るためのツールなんだ」というポジティブな印象に変わりました。
またフィリピンで生活する中で、多くの人種に揉まれ、「日本人とは何か」「日本とは何なのか」を考えさせられる機会が多くありました。
僕の通っていた学校は様々な人種(といっても日中韓が大多数ですが)がいて、最初こそ校内で多国籍なグループを作ったりするところもありましたが、時間が経てばほとんどが同じ国の生徒同士で固まるようになりました。
そうすると国ごとにやはり特色が出るのですが、夜遅くまで自習室で勉強するのは日本人だけなんですよね。他にも用具をきちんと片付けたり、周りにちゃんと挨拶するのも日本人だけ。そういう国ごとの特色を見るのは非常に楽しかったし、それはそれで別の国の文化に溶け込むのは難しいよなと、ある種の限界を感じたりもしました。
経済の話で言うとフィリピンは外資系企業が多く進出しており、日本も漏れずその外資系企業の一つとなっています。
道行く車を見ればほとんどが日本製で、フィリピンに着いた当初はその光景に非常に誇らしい気持ちになりました。
しかし時間が経つにつれて、フィリピンは自国の製品が少ないことに気が付きます。
ある時講師に「フィリピンの特産品って何?」と聞くと「バナナぐらいかな。あと他は… あまりないかな」と悲しそうに答えました。
この時自国の製品がないというのはとても寂しいことなのだと理解しました。
このフィリピンの厳しい環境も、ひとたび留学生活が終わってみれば「この環境で良かったな」と思います。
結局最後まで冷水しか浴びれなかったシャワーを始めとするボロい施設の環境も、これ以上悪い環境もあまりないかと思うので世界のどこに行ってもやって行けそうな自信がつきました。英語もキレイな発音ではないため、ときおり聞きづらい場面もありましたが、世の中教科書通りのちゃんとした英語を話す人のほうが少ないと思うので、ここで学べてよかったと思います。
以上がフィリピン留学最後の感想となります。
当初は年甲斐もなくホームシックにかかり、慣れない環境や伸びない英語力に何度も挫けそうになりましたが、なんとかやってこれました。
そしてこの『フィリピン留学体験記』をお読みいただいた皆さん、本当にありがとうございました。
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