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論理のないアイドル映画への収束『ちはやふる 下の句』

 AmazonPrimeで映画『ちはやふる 下の句』を観ました。

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運が悪い事への論理的な説明『ちはやふる 上の句』

 AmazonPrimeで映画『ちはやふる 上の句』を観ました。  2016年に公開され、主演の広瀬すずの名前が世間に知れ渡ったヒット作。共演は野村周平と真剣佑。(広瀬すずが主演としてクレジットされて ...

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 前回の『ちはやふる 上の句』に引き続き、今回はその完結編である『ちはやふる 下の句』を鑑賞いたしました。

 前作『上の句』を90点とするならば、本作『下の句』は40点と、前作での高評価を大きく下回る結果に。『上の句』の評価ポイントはいくつかあり、その中でも「主人公はなぜ運が悪いのか」を論理性を持って証明したという点はかなりの評価ポイントでした。しかし本作ではその"論理性"が見事になくなっているのです。他にも完結編でありながら、ほとんど物語的にオチがついていないなど、かなり悪いポイントがありましたので、今回はその点を解説していきます。

 

 まずがっかりしたポイントとしてはやはり「主人公が勝つための論理」が欠如している点です。『上の句』のレビュー記事でも書いたとおり、往々にして日本のアイドルスポ根映画は「特に理由はないが、頑張ったら運が向いて勝てた」という安易な展開をしがちです。序盤に実力が不足しているヒロインが登場して、持ち前の明るさで周りを巻き込み仲間に支えられながら努力し、そして最後には圧倒的な力を誇っていたライバルにあっさりと勝ってしまう。もしくはあと一歩というところで負ける。こういう展開をされてしまうと「結局はフィクションの世界の話だよな」と白けてしまうものです。

 『上の句』では主人公の野島太一(野村周平)が運が悪いキャラとして登場するのですが、まずそこで「なぜ彼は運が悪いのか」という理由を日本人なら誰でも分かる形で論理的に説明するという離れ業をやってのけます。ここで僕は物語にグッと引き寄せられました。そしてクライマックスの試合でも圧倒的に不利な状況で、運が悪いことを逆手に取った戦法により見事勝利を収める姿には大変感心したのです。

 一方『下の句』では千早(広瀬すず)の方にフォーカスがあたり、松岡茉優扮する圧倒的な実力を誇るライバル・若宮詩暢が登場します。詩暢が登場した際は千早との間に圧倒的な実力差があり、「おいおい、この差をどうやって埋めるんだよ」と思いながら観賞を進めるものの、物語的に千早が競技かるたのトレーニングをして成長していくシーンがほとんど出ず不安になります。そしてとうとう映画はクライマックスに入ってしまい「いや、このままじゃ大敗するだけだろ」と思っているとかなり肉薄してしまうんですね。なぜ肉薄できたかというと映画の演出を見る限りは「ものすごく集中したら潜在能力が開放できた」からのよう。そんなバカな。

 これがもし普通のアイドル映画であれば、まぁそんなもんだよねと納得できたのですが、前作であれだけ勝つための根拠を論理性を持って見せてくれただけあって本作の展開はかなりガッカリしてしまいました。

 次のがっかりポイントとしては物語的なオチがついていない点です。

 本作『下の句』が『上の句』に対する完結編とするならば物語的なオチがほとんどついていないのが気になりました。(一応正式な完結編としては『ちはやふる 結び』があるようですが)

 例えば新(真剣佑)の扱い。前作であれだけ「実は圧倒的なかるたの実力を秘める青年」的な登場をさせていると当然『下の句』の方では物語の序盤で早々に競技かるたの世界に復帰し、クライマックスでは敵として登場するのかと思いきやそうではない。もしこの映画のポイントが「新をかるたの世界に復帰させる」というものであれば『上の句』『下の句』合わせてこのストーリーラインはちょっと無理があるのではないかなと思います。

 他にも『下の句』から登場するライバルである詩暢の立ち位置も微妙です。物語の序盤で千早が詩暢を倒すことを決意するのですが、「なぜ彼女を倒さなくてはならないのか」の理由が希薄です。もし彼女に勝つことで新をかるたの世界に引き込めるというのであれば倒す理由が分かるのですが、本作にはそれがない。勝っても負けても別に日常生活に変化がないので応援できないのです。前作『上の句』では「競技かるた部を作って全国大会に出場することで新に認めてもらう」という大義名分があったからこそストーリーに感情移入できたんですけどねぇ。それにスタンドプレイを行う詩暢に対してチームプレイで挑む千早という構図が中盤であったものの、それも最後の対局ではうやむやに。

 太一の千早に対するラブストーリーも結局未完。太一は千早が好きなのに、千早は新に対して好意がある。物語序盤でそういった色恋演出をするものの、オチはつかない。

 結局の所、『下の句』で登場人物たちが映画が始まってから終わりまでの間で誰も成長してないんですね。前作『上の句』で「全国大会に出場できることになった。やったー!!」というところから変わっていないのが気になりました。

 そして次なるダメなポイントは邦画特有のベタ演出をしてしまったこと。

 邦画には邦画特有の「現実にはそんなことありえねーよ」と周りから散々突っ込まれながらも未だに現場でやってしまう演出があります。それが「登場人物が背を向けながら会話するシーン」です。もうこれが出てきた瞬間「あーあ」と思ってしまいました。前作『上の句』ではそういったシーンがほとんどなく安心して映画を観れていたのですが『下の句』ではやたら出てきて思わず「…監督変わった?」と疑ってしまいました。他にも「雨の中傘もささず誰かを待つヒロイン」が出てきて脱力。雨が降ったら、傘は、さしなさい。雨に濡れると体温下がって風邪引くし、観客の温度も下がっちゃうから。

 

 とはいえこの映画が全くのダメな映画かといえばそうではなく、良い点もかなりありました。

 例えば若宮詩暢を演じる松岡茉優の圧倒的なライバル感。この映画を観た人であれば誰もが彼女の演技を絶賛するでしょう。何も言わなくても佇まいを見ただけでかなりの実力者なんだなと分かるオーラをまとっていて、実際にかるたを行うシーンも「アイドルが片手間に練習した」程度には収まっていません。ちゃんとかるたが強そうに見えています。

 他にも緩急をつけたコメディ演出。『下の句』では松岡茉優がコメディリリーフの役割も負っているのですが、安易にコミカルな演技をさせていかにも「笑うシーンですよ」とやるのではなく、ちゃんと緊張感のあるシーンと笑うシーンで緩急をつけて演出を行っています。特に初登場シーンで普段はキツイ性格をしながらも実はかわいらしいキャラモノが好きだと分かるシーンのコメディ演出は現場で演技をしてる分には「これ、本当に笑えるシーンになっているのか?」と心配になったことでしょう。でもちゃんと編集で笑えるシーンになっている。

 最後に挙げられるのは無駄のない展開。本作では詩暢がかわいらしいキャラモノが好きだと分かるわけですが、これがあくまでもコメディのためのシーンになってないんですよね。後半でこのかわいいキャラモノが好きだという伏線が活きてきて更に笑えるシーンになりつつ、それでいて盛り上がりも見せたりするので、ストーリー展開に無駄がない。

 

 以上が『ちはやふる 下の句』のレビューになります。

 前作が今まで見てきた邦画の中でも上位にランクインするほどの傑作だったためかなり期待して本作を観賞しましたが、少しガッカリしてしまいました。続編として更なる完結編『ちはやふる 結び』があるので、そちらも観てみたいと思います。

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