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考え方

努力ではどうにもならない領域と、どうにかなる領域

 先日、数ヶ月ぶりに筋トレ仲間と再会しました。

 僕と彼は示し合わせたわけではないものの3年前のほぼ同時期から筋トレを開始し、今では同じ筋トレ仲間として数ヶ月に一度会ってはトレーニングの話や仕事の話などをしているのでした。

 

 先にカフェに入り、彼の到着を待つ僕。

 遅れて登場する彼を見ると、前回会ってからまだ数ヶ月も経ってないのに腕が異常なほど太くなっているのに思わずツッコんでしまいました。

 

 「その腕どうした!?」

 「最近ベンチプレスの負荷を高めたんだけど、そうしたら自然と太くなった」

 

 彼はあっけらかんと答えるのでした。

 僕と彼はトレーニングの頻度がそこまで変わらないのですが、僕の方は3年ジムに通ってみてもベンチプレスは60kgしか上がらず、彼の方は100kgを超えいるのです。

 これは中々に辛い現実。

 前々から気づいてはいましたが、僕は筋肉が付きにくいタイプらしく、3年も高負荷なトレーニングをしているのにもかかわらず、その体型の変化は「3年」という数字のインパクトに比べて非常に小さい。ネットでバズる「筋トレ3年間のビフォーアフター」画像を見てしまうと「たったそれだけしか体型変わらないの!?」と叫んでしまいたくなります。

 また彼のように「狙っていない部位も大きくなる」ということはありません。ベンチプレスをやれば胸しか大きくなりませんし、レッグプレスをやれば太ももしか大きくならず、今の僕の体型はなかなかイビツです。

 

 同じ時期に筋トレを開始し、トレーニングの頻度も同じぐらいとなると嫌でも「筋肉の付きやすさの素質」のようなものを直視しなくてはいけません。そして自分にはその素質がないと分かるととても落ち込んでしまうんですよね。

 

★★★★★★★★★

 

 と、今までの僕でしたらここで「才能(素質)のない人間が筋トレやっても無駄だ。もうやーめた!」となっているのですが、最近になりそのマインドも少しずつ変わってきました。

 アラサーになってくるといよいよそういう「俺には才能がないからやらない」と言っているわけにもいかず、仕方なく時間をかけて取り組んでみると意外と結果が出ることがあるのです。

 

 もちろん世の中、努力が必ず報われるとは思いません。

 オリンピックの世界でも世界新記録を出す人間が必ずしも歴代の人間の中で一番の努力量を誇っているかと言うとそうではないでしょう。

 努力でどうにもならない領域は存在しますが、少なくとも我々が目指しているところは世界No.1でもなんでもなくて、努力さえすればどうにかなる領域もかなりあるんじゃないかと思うのです。

 

 例えば前述の筋トレの話だって友人に比べたら確かに筋肉は付きにくい方ですが、以前は典型的な痩身体型だったこの僕も3年間で体重は15kg増え、今の僕に「痩せてる」という人間はいなくなりました。

 結果が出るのには時間がかかりますが、それでも結果自体は出ているわけで、時間さえ費やせばいつか自分の目指すところには到達できるのです。

 

 往々にして「自分には才能がないから…」という人に向けて「何をもって才能がないと判断した?」と聞くと答えに窮してしまいます。

 「才能がないから」と諦めるときはいつだって僕らが勝手に高いハードルを設定して、根拠のない期限設定を切り、それでいて結果を出すに値する努力量をしていないのです。

 

 自分なりに努力をしてみて、そして少なくとも何か一つでも成果が出るのであれば、それを継続していればいつか自分の目指すところにたどり着けるでしょう。

 

 そう思い、僕は今日もジムに行くのです。



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