考え方

好きな職業と賃金

 ―に関する記事が2本、先日ネット上で大きなバズを巻き起こしていました。

 まず1本目は図書館司書の待遇に関する記事になります。

 「私は最低賃金+40円・手取り9万8千円で働く非正規図書館員です。図書館の今を知り、未来のために署名をいただけませんか?」

 ある地方の公立図書館で働く20代女性がネットで署名を募り、注目を集めている。ネット署名は8月にスタートしてじわじわと広がり、賛同者はまもなく5万人に到達しようとしている。

 女性が訴えているのは、待遇の改善だ。ある公立図書館で会計年度任用職員(1年ごとに採用される非正規職員)として働いているが、1カ月の手取りは9万8000円で「一人暮らしはとてもできない」という。

弁護士ドットコムニュース『手取り9万8000円では「暮らせない」 図書館司書が待遇求めて署名活動…専門性評価されず、7割超が「非常勤職員」の現実』

 このニュースを初めて読んだとき、僕は過去の自分を思い出しました。自分が社会的に意義があるであろう重労働をしているのにもかかわらず、賃金も世間からの評価は低く、将来について希望が持てない。同じような体験をしている身からするとこの司書の方の気持はものすごく理解できる一方、実際に賃金を上げるのは非常に難しいだろうなと考えています

 まず賃金を上げてほしいのであれば、少なくとも上げてほしい賃金分は自分で稼げていなくてはなりません。それだけの稼ぎを挙げてくれていないと、物理的に賃金の引き上げも不可能です。記事の中では賃金として時給2000円を希望しているようですが、果たして司書の仕事が1時間あたり2000円の収益を挙げているのかどうなのか。

 司書のような公的な仕事で、しかも事務職となれば、自分の働きが直接的に収益に跳ね返るようなものではないので「どれだけの収益を挙げているのか」を証明するのは非常に難しいとは思います。そうであれば自分の仕事の負荷が世間の時給2000円の業務と同等であることを示さなければなりません。ですが記事を読む限りでは司書の仕事がいかほどに大変かはあまり伝わってきませんでした。

 「たとえば、利用者の疑問や課題を解消できる資料を提供するレファレンスと呼ばれるサービスがあります。図書館の重要な役割ですが、司書資格があるからといって、すぐにできる仕事ではありません。何年も経験を積まないとできないものです」

 記事の文中でこういった記述があります。要するに「司書の仕事は世間で思う以上に大変なのだ」ということでしょう。ですがそれを言ってしまえば例えば最低賃金職の代表でもあるコンビニ店員も思った以上に大変です。現代ではコンビニはガス・水道・電気に並ぶ生活インフラのようなもので、図書館に1年に1回も行かないという人は多くいるかと思いますが、コンビニに1年で1回も行かないという人はほとんどいないでしょう。

 コンビニもただ単純にレジを売っていればいいだけではなくて、品出しや清掃、イベントのチケット発行、荷物の発送から受け渡し、公共料金の支払など多岐にわたります。恐らく店長ですら自分のお店が一体どんなサービスを提供しているのかその全体像を正確に把握してはいないのではないでしょうか。

 コンビニに限らず「最低賃金で雇われるから」といった理由で現場に入ったら即座に稼働できる職業などほとんどありません。資格があってもすぐに仕事ができるわけでもないでしょうが、資格が不要な仕事だからといって誰でもすぐに稼働できるわけでもありません。やってみたら意外と大変な仕事など世の中にたくさんあります。というより、仕事というものは大抵そんなもんです。お金を払って他人にやってもらう分にはそこまで大変そうに見えないしスキルも必要なさそうに思えますが、いざ自分がやるとなると「これだけの賃金じゃやってらんないよ」となるものです。

 他にもよく低賃金で問題になっている保育士はどうなるのか。署名を集めるサイトのコピーには「子どもたちの未来を守る」とありますが、保育のような司書よりも割とダイレクトに子供の将来に影響が出そうな職業の賃金を上げず、司書の方の賃金を倍にする理由を答えられるかというとなかなか難しい。「だったら司書も保育士も同時に賃金を上げたら良いじゃないか」という声も聞こえてきそうですが、となるとその財源たる税金の徴収率を上げなくてはなりません。ただ既に「日本は税金を取りすぎだ!」という声が各所で上がっている現状でそれはほぼ無理に近いでしょう。

 ここで僕自身の体験談をさせてください。僕はFラン私立文系大学からメーカーの事務職に就いたのですが、そこではサービス残業を100時間以上こなすほどのハードワークをこなしながらも退職までの3年間で手取り16万円から昇給することはありませんでした。技術のことがほとんど分からないながらもエンジニアさんたちに指示を出さないといけない場面も多く、入社当時は周りから全く相手にされずストレスも非常に多かったです。また色んな部署とも連携して仕事をしなくてはいけないことも多くコミュニケーション能力も必要。あるときはエンジニアさんたちが起こした重大なミスも僕のウルトラセーブで流出を防ぐという場面もありましたが、それでも会社から評価されることはありませんでした。

 当時はこういった扱いに立腹していましたが、途中から「こうなるのも仕方がないな」と思うようになりました。というのも直接的な利益を出さない事務職は自分の実績を数字として語ることができないと理解したからです。例えば1年目には1時間で1枚の書類しかさばけなかったところが2年目には2枚さばけるようになったので給料を倍にしてくださいといったところで、そもそも収益が2倍になっていないので給料を上げようにも上げられないのです。だから自分の賃金を上げたいのであれば働けば働くほど会社に収益をもたらし、かつ、自分の実績を客観的に証明できるようにしなければなりません。そこで僕は自分の成果量が可視化しやすいエンジニア(プログラマー)に転身しました。

 ではエンジニアに転身したら即座に自分の成果やスキルを簡単に他人に伝えられるようになったかというとそうではありません。このブログでも過去に記事にしましたが、エンジニア転身後しばらく経ってから挑んだ転職の面接では「まぁエンジニアになったんだから向こうもこっちのスキル感はなんとなく分かってもらえるだろう」と生半可な気持ちでいたところ面接官から辛辣な言葉を投げかけられています。やっぱり賃金を上げたいのであれば体を使って汗かいて実績を挙げて、他人に理解してもらえるように頭を使ってプレゼンしないとダメなんですよね。

 自分自身にこういった経験があるからこそこの司書さんの気持はものすごく分かります。ものすごく分かるからこそどうしても厳し目の意見を言わざるをえないのです。

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 2本目は飛び級制度を利用し17歳で大学生になった方のお話です。

1998年1月、佐藤和俊さんの人生は、一変した。

「飛び入学 3人合格」

当時、高校2年生だった佐藤さんには、新聞の見出しが面はゆかった。

「科学技術の最先端を切り開く人材を育てたい」と、千葉大学が全国で初めて導入した飛び入学制度。「高校に2年以上在籍した特に優れた資質を持つ17歳以上の生徒」に大学の入学資格を認めるもので、中央教育審議会がこの前年6月に制度化を答申していた。

合格者3人のうちの1人に選ばれた佐藤さんは、17歳の春、「大好きな物理の勉強に没頭できる」と意気揚々と大学の門をくぐった。

あれから22年。佐藤さんは今、大型トレーラーの運転手となって、夜明けの街を疾走している。

PRESIDENT Online『全国初の「17歳の大学生」になったが…早熟だった「物理の天才」が、いまトレーラー運転手として働くワケ』

 17歳で大学に入学できるほどの秀才が研究者になるものの、あまりにも低い賃金により生活していくことが困難になり、現在は研究者の道を諦めトレーラー運転手になっているとのこと。

 「日本がアカデミアに対してお金を出さない問題」については度々ネットでも大きなバズを形成しますが、やはりこちらも司書の問題と同様で「賃金を上げてあげたいのは山々だが、そのような余裕はどこにもない」というのが現状です。

 昨今の長引く不景気や、それに追い打ちをかけるようなコロナ禍。そして物価の上昇。庶民の生活がますます苦しくなる中で「自分の生活を楽にしてくれるかどうか分からないし、成果が出るかどうかもわからない研究」にどれだけお金を出せるかというと、かなり疑問です。

 一昔前までは「俺たち頭の悪い庶民にはよく分からんが、頭のいい学者さんたちに金を突っ込んでおけば回り回って俺たちの生活を楽にしてくれるんだろう」という神話があり、アカデミアに対してお金をつぎ込むこともそこまでためらいがありませんでした。しかし現代では少し風向きが変わっています。

 SNSの発達によって学者さんたちが自分の研究内容や思想を世間一般に発信するようになりましたが、蓋を開けてみれば多額の税金を注ぎ込んでいる学者連中が自分たちの生活を楽にするどころか苦しめていることが多くあると判明してしまったのです。人文系は自分の思想をもとに些細な事で企業にクレームをつけたり、エビデンス重視のはずの理系もデータそのものは本物でも自分の都合のいいところだけ切り出して論陣を張ったりする。特にこのコロナ禍では理系の学者による感染予測で厳しい行動制限が課されたのにもかかわらず予測は外れ、その責任を問われると「自分は提言しただけで最終判断を下したのは政治家である」と責任逃れをし、庶民を大いに失望させました。

 世の中のグレーゾーンの明白化は今後も加速していくし、それにともなって税金の投入の審査基準厳格化は避けられないことです。「アカデミアに資金を投入できなければ日本が衰退していってしまう」と声を上げるのは良いのですが、ではそういって声を上げる人に「ではあなたは個人的にアカデミアに寄付をしたりしていますか? 税金が上がっても問題ないですか?」と聞いてみると大抵はダンマリです。

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 子供の頃、世の中に無数に存在する慣習・ルールに対して疑問が尽きませんでした。それこそ学生時代は生徒を縛り付けるだけの校則や、大学の卒業が近づく頃には就活のルールに憤りしか感じませんでした。そして社会人になって数年が経った時期には「なぜ自分の賃金は上がらないのか」と常に腹を立てていたのをよく覚えています。

 しかしそんな憤りも人生をそれなりに長く過ごして色んな世界を見てみると、「一見して不条理に見えた慣習やルールにも一定の合理性があった」ことが分かります。もちろんすべての慣習・ルールに合理性があるとは言えず、中には複雑なパワーゲームの逃走の末に生み出された不条理なものもありますが、良くも悪くも「まぁ、世の中そんなもんだ」と折り合いをつけて、自分にできることをやっていくしか無いのです。

 特に17歳で大学生になった佐藤さんの近影を見ても悲壮感は全く感じられません。それは人生の中で「やっぱり研究職で稼ぐのは難しいよね」と理解し、自分の中で折り合いをつけてトレーラー運転手となり、今では家族を養い一軒家も買えるようになったからでしょう。僕も小学生の頃はサッカー選手になりたかったし、中高生の頃は映画監督になりたかった。大学の頃はWebライターになりたいと思っていましたが、「でもそれは難しいよね」と折り合いをつけてエンジニアになり、今ではひとりで食っていくには十分稼げるようになり、そこそこ幸せに暮らせています。

 フルタイムで仕事をするのであれば少なくとも自分一人が食っていけるだけの賃金が欲しいという気持はすごく理解できるし、そうあるべきでしょう。しかし「なぜそれが実現不可能なのか?」について考えを巡らせたり、言及できないのであれば事態は変わらないと思うんですよね。

 今回司書とトレーラー運転手という職業はいいコントラストを描いています。いかに司書が国家資格を必要とした専門職であっても稼げるわけではないので賃金も上げようにも上げられない。その上世間的には楽な職業だと思われているため応募も多いからそもそも賃金を上げるインセンティブがない。逆にトレーラーの運転も運転免許という国家資格が必要で、実際に世間の需要もあって稼げるからこそ家族も養えて一軒家も買える。世間的にはキツイと職業とみなされているからこそ人手不足になるので、賃金を上げるインセンティブがある。

 これらの「フルタイムで働いても月収が低い」問題については僕は自分なりの回答を持っていて、世の中を好景気にする以外解決策はないと考えています。日本が好景気になるためにはまずは外貨を稼がなくてはならず、その手段としてエンジニアを一人でも多く増やすべく、エンジニアになる方法やスキルアップのための勉強法をこのブログで書き続けています。

 こういった意見は自己責任論として受け入れられないことも多いのですが、実際に文句だけ言っていても現状は変わりません。「なぜこういった問題が起きるのだろうか」というところまで考えれば、おのずとどう行動すべきかが見えてくるはずです。そして行動しましょう。

<行動できる人間になるためのオススメ図書>



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