考え方

自己責任論で切り捨てても誰にもいいことはない

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 年々弱者に対する自己責任論が高まっているのを感じます。

 先日政府が氷河期世代に対する新たな支援策を発表していたのですが、「氷河期世代は確かに新卒時が不遇であったが、未だに窮状にあえいでいるのは自身の努力不足によるところが大きい」などの自己責任論が決して少なくない数飛び交っていたように見受けられました。

 今回の氷河期世代のトピック以外でも、自分の窮状を嘆く人に対して自己責任論が投げかけられる場面は多く観測されますが、僕は自己責任論を投げかける行為はあまり意味がないのではないかと思っています。

 本記事ではなぜ自己責任論に意味がないと考えるのか、その理由について書いていきたいと思います。

この記事の筆者

一般入試でも科目選択によっては英語を受験しなくても入学できるFラン大学出身。

未経験からエンジニアに転身し、そこから毎日1時間勉強を継続。

電子工作スキルやVBAエキスパート取得、TOEIC875点などを武器に転職をし、年収を150万円上げることに成功。

「やる気を出せ!」と言ってやる気が出る人間はいない

 まず考えてほしいのが、みなさん他人から「やる気を出せ!」と言われてやる気が出たことってありますか?
 少なくとも僕はないです。

 僕はこのブログでも幾度となく言及してきましたが、高校時代は3年間合わせて100時間も勉強しなかった人間です。しかし100時間も勉強しなかったからといって勉強のやる気がまったくなかったかといえばそうではなく、心のなかでは常に「やらなきゃ」と思っていました。

 高校生ながらに何冊もビジネス書や自己啓発本を読んで、それこそ習慣術の本もメジャーどころは一通り読み漁りましたが、いざ勉強しようとなると全く続かない。続かないどころかそもそも勉強机に座れないのです。稀に数ヶ月に一回机に向かうこともできますが、ちょっと勉強を始めてみても気づいたら携帯に手が伸び、パッと時計を見ると数時間経過。もうこんな時間だからと翌朝早めに起きてやろうとするも案の定早くは起きれず、結局ほとんど勉強をしないまま毎日が過ぎてしまうという体たらくでした。

 そんな現状を見かねて周りも「ちゃんとやる気出して勉強しなよ」と言うのですが、内心「(そんなこと分かってるよ)」と毒づくだけで何も変わらない。たまに「どうやったらやる気って出ますか?」と聞いてみても「まずそういう生意気な態度がいけない」と要領を得ない回答が返ってくることがほとんど。よくて「まず机に向かってみなよ」と言われるぐらい。いや、そもそも机に向かうこと自体が難しいんだよ。

 いつも頭の中に霧がかかっているような感覚で、この先ずっと自分は変われないまま惨めな人生を送っていくのかという絶望感にさいなまされていました。

 

そもそもやれないのが当たり前

 そもそも人は努力できないのが当たり前なのです。特に現代のように机に向かってExcelの勉強をするだとかFPの勉強をするだとか、人間の本能である「食う・寝る・スケベ」に直結できないアクティビティがあまりにも増えてしまいました。

 食うに困らない現代ならまだしも、これが原始時代だったら食う・寝る・スケベに関係ないアクティビティに時間を費やしてしまう人間は生き残れなかったわけですよ。自分が本能的に興味を持ったこと以外やれないのが当たり前。例えばこれがマンモスを追っていたような時代に数学に興味を持って、獲物を追うでもなければ作物を育てるわけでもなく、壁に延々と数式を書いているような人間だったらあっという間に死んでいたわけじゃないですか。

 だから現代に生きる我々というのは食う・寝る・スケベ以外は基本的に興味がなくて、余計なカロリーを極力使わないようにした怠惰な人間たちの生き残りなわけです。

 そういった生物学的な背景を無視して「やればできるんだ!」と声をかけるのはあまりにも無責任です。しかしインターネットを見れば検索上位にサクセスストーリーがあまりにも溢れていて、それを見る限りは「(本当はみんなやればできるはずなんだよな… なんで自分はできないんだろ)」と自己嫌悪してしまうのです。

 でもインターネットの検索上位に現れるような体験をして記事を書ける人って、人口のほんの数%なんですよね。たとえばこれが0.01%だとしても、日本に限った話で1億2000万人の0.01%ですから1万2000人です。検索上位1万2000記事が「やればできる!」と書いてあれば本当のことのように思えますが、いやいや、それはレアケースなんですよ。

 例えば僕自身、このブログを通じて色んな資格の取得にチャレンジしました。TOEICも今でこそ875点を取れましたが、本腰を入れた直近1年の勉強時間だけを見ても500時間を超えてます。実際には大学卒業間近から断続的に勉強をやったりやらなかったりしたので、足掛け10年。トータルで1000時間以上はかかってます。Googleの検索上位に来る記事のように3ヶ月から半年で860点を突破することはありませんでしたし、途中何度も弱音を吐いています。

 他にも難易度も低く取っても意味がないとネット上では度々揶揄される簿記3級やFP3級も、両者とも僕は100時間ぐらいかかりました。簿記は2回落ちて3回目でやっと合格したし、FPは当日に予定が入り受験が叶わなかったので実際に取得するまで1年かかってしまいました。誰だ、簿記3級/FP3級は最短3日で取れると言ったやつは。

 

環境の要因はあまりにも大きい

 努力ができるできないは生まれ育った環境もそうですし、今いる自分の環境も大いに影響を与えます。

 例えば親が医者や大学教授で、親が家で勉強する様子を見て育った子と、親が肉体労働者で一度も机に向かって勉強している姿を見たことないどころか、こちらが勉強をしていると邪魔してくる家庭で育った子では、どちらが素直に努力できますかという話です。

 体格が親からの遺伝に大きく左右されるのと同様、最近の研究では知能も遺伝することが明らかになっています。そういった状況を無視して「勉強はやれば誰だってできます!」と無邪気に叫ぶのは、あまりにも酷なことなんじゃないかなぁ、と。

 

とはいえできない人を切り捨ててもいいことがない

 僕もTwitterやブログでも字数の関係などでときたま自己責任っぽいことや、できない人を切り捨てるかのようなことを言ったりします。また目に余るほどの甘えた考えや意見に対しては辛辣なことも言いますが、基本的にはできない人を切り捨ててもいいことはないなと思っています。たまにTwitterでも延々と「なぜ自分は努力をしないか」「結局世の中才能が全てである」という発信をしている人がいますが、もし自分が完全に成功を諦めているのであれば多分そういった発信はしないはずなんですよ。心のなかでは変わりたいと思っているのに変われないからこそ、変われなくていい理由を探し求め続けてしまうという。

 だからできない人を放置していても誰も幸せにならないんですよね。冒頭の氷河期世代の問題ともリンクしますが、できない人にお金だけを与えていても持続性がないし、何よりも本人の幸福度が高まらず、無敵の人を増やしてしまうだけになる。特に男性の場合は何かしらアウトプットを出せるようになって初めて他人から評価してもらえたり、社会とつながることができるのです。

 人手不足も深刻で、農業も人がいなければ介護も人がいない。土建屋もダメとなればエンジニアもダメ。そうすると社会に必要な各種インフラが維持できないのです。自己責任論でスパッと弱者を切り捨てて言う側だけ気持ちよくなって、他人を家でイジケさせてるような時代じゃないんですよね。みんな家から出て頑張って働いてもらわないと自分自身の今の生活水準も人手不足により物理的に保つことができなくなってくる。

 そして今までできなかった人がひとりでもできるようになればそれだけ税収も上がります。欲を言えばエンジニアが増えて身の回りに便利な家電製品が増えれば生活の質も上がるし、外貨も稼いでくれれば日本の景気が良くなります。たまに「できる人間を増やせば自分のパイが減るだけだ」という人がいるのですが、今の日本はそもそもできる人の数が圧倒的に減ってきているので、パイ自体が自然に小さくなっている状態です。外貨を稼いでパイを大きくすれば自分の取り分は減りません。

 

僕がブログを更新する理由

 僕はこのブログで勉強系の記事をメインに更新を続け、記事数はもう250を超えてもうすぐ300に到達しようかとしています。アフィリエイトも大して貼っていないので収益などほとんどないし、サーバー代やドメイン代を考えるとバッチリ赤字です。それでも更新を続けるのは過去の自分と同じように自分の出来なさに苦しんでいる人に、ひとりでも良い影響を与えられればいいなと思っているからです。

 今でこそ僕は毎日1時間勉強をコツコツと積み重ねられるようになりましたが、それも運が良かっただけです。社会人になって自分の会社は給料が安いと親友に愚痴をこぼせば、お前自身が売上を伸ばせてなければ給料が上がるわけはないじゃないかとやんわり苦言を呈されたり、たまたま付き合うことができた自分にはオーバースペックなオネエちゃんには数ヶ月で逃げられてみたり、なんとなく始めた転職活動で大手企業の部長さんから「結局東城さんに何ができるかが全く伝わってこない」と痛烈な一言を浴びせられたり、このままじゃダメだと思わせてくれる出来事に運良く遭遇できたからこそ今の自分があるのです。

 そういった経緯もあり、僕はよく「もう少し早く自分に有益なアドバイスをくれる人がいたら、自分の人生も少し違ったものになったのではないかなぁ」と物思いに耽ることがあります。あのとき教えてほしかった「やる気のない人が机に向かうための具体的な手順」。ただ「やる気を出せ!」というのではなく、具体的にどうアクションしていけば机に向かえるのか、心底知りたかった。

 できない人に対して自己責任論を投げかけてみたところで言った方は一時的にスッキリするかもしれませんが、言われた方はいつまでもダメージを負うわけですし、それで人生が上向く訳でもない。たまに「あえて厳しいことを言うことでやる気を出させる」という無茶な理論を唱える人がいますが、それでうまくいく確率ってどれだけなんでしょう。僕の場合あえて厳しいことを言われたら殺意こそ覚えど、やる気など無に帰してしまいます。そして人を変えるのは「具体的な行動プラン」と「それによる成功体験の獲得」だけです。どうせ自己責任論を投げかけるのであれば、同じ時間を使って少なくとも自分はどうやってできないところからできるようになったか体験談を語ったほうが有益だと思うんですよね。

 そう思うからこそこのブログで具体的な勉強のための手順や有益な情報を発信できるよう、記事を更新しています。

 

 できる人が増えて、更に有益な情報を求めて僕のブログに訪れてくれる人が増えればいいんですけどね。

 

やればできることをやろう

 何をやるにしても一発逆転をするのは難しいですが、かといって運転免許が取れるぐらいの知能があるのであれば諦めるのは早いと思います。諦めて生きるには現代人の寿命は長すぎるんですよね。もちろん世にいる天才たちと対等に渡り合おうとするのは難しいでしょうが、それでもできない人間はできないなりにやれることはあるはずです。

 僕も自分を変えようと1日1時間勉強を決心したときは、とりあえず毎日1時間机に向かうことにしました。最初はスマホを触りながらでもOK。当時は最初の30分は仕事の日報を書いたり、後半30分はExcelのグラフの作り方を勉強していました。それで段々と体が慣れてくると負荷の高いプログラミングの勉強を開始。

 たかが1時間でもそう簡単には習慣にはならなくて、どうやったらスムーズに勉強できるか真剣に考えてました。例えば家に帰ったら即座にコーヒーを入れてシャワーを浴びて、そこから机に向かうのをルーティン化したり。残業も多かったので時間を捻出するために食器洗い機を導入したり、オーブンレンジでほっとくだけで野菜炒めが作れるようにして、料理の時間を削ったり。ひとつひとつはなんとでもない改善ですが、それを積み重ねていくことでしか大きな変化は作り出せないのです。

 とはいえ順風満帆に事は進んでいたかというとそうではありません。1日1時間の勉強もスムーズにできない自分には本当に嫌気が差していましたし、結果が出ない自分が嫌すぎてクリスマスには「何もかもが嫌になった」という記事を衝動的にアップしてしまっています。転職の武器として使いたいと思っていたTOEICの勉強をしていたときは職場の人から陰に陽に「まずは目の前の組み込みの仕事に集中したほうがいいんじゃない」と言われたものです。

 最終的には転職に成功して、女性にプロポーズしてもそんなに恥ずかしくない給与を得ることができるようになりましたが、ここに来るまでには色々ありました。でも、そういうサクセスストーリーの影の部分ってみんな語ってくれるようで語ってくれないんですよね。

 「やればできることをやろう」という話で言えば、僕が所属する組み込みエンジニア界隈では「VBAエキスパート(スタンダード)」「応用情報技術者試験」「TOEIC730点」のこの3つを取っていればまず年収500万円を切ることはありません。いずれの資格も時間さえかければ取れるもので「取得は絶対に不可能!」と異論を挟む人はいないでしょう。1日1時間程度の努力量でも早ければ3年。遅くても6年では取得可能です。

 やればできることは確実にあって、それを積み重ねればある程度の地位には行けるんですよね。

 

 格差が広がりつつある今の日本でコツコツと努力を積み重ねることはなかなか難しいことです。

 ただしSNSやYouTubeのお陰で、最初は全くダメダメだった人も努力を積み重ねればある程度は形になるという証拠がかなり上がってきており、コツコツやることの重要性が再確認されつつあるムーブメントを感じます。

 苦しいこともあるし、結果もなかなか出ませんが、それでもやれることはあるはずです。
 一緒に頑張っていきましょう。



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