映画館で『ロッキーVSドラゴ』を観てきました。
1985年の大ヒット作『ロッキーⅣ 炎の友情』をスタローン自身が再編集を行い、未公開映像42分を使用し新たに再構成し直した本作『ロッキーVSドラゴ』。僕はロッキーシリーズが大好きで、シリーズの中でも特にⅣが好きです。(次いでⅠが二番目に好き)
もともとこのシリーズは時代の雰囲気を作品に色濃く反映させていて、初代は1970年代に流行していたアメリカン・ニューシネマのアンチハッピーエンドの精神を体現しています。それがパートⅡ、Ⅲと作られるにつれて1980年代の「強いアメリカ」の役割をロッキーが背負うことになり、特に1985年東西冷戦真っ只中に作られた『ロッキーⅣ』では敵がまさにソ連そのものとなってしまうのです。
作品自体も当時流行していたMTV感覚を取り入れていて、正直上映時間の90分のほとんどがまるでミュージックビデオのような仕上がりになっています。映画の公開直後からこの演出スタイルは批判の槍玉に挙がっていて各所で酷評されるものの、1980年代に生きていない僕としては当時の空気感を感じられる稀有な作品として非常に思い入れのある作品でした。
そんな『ロッキーⅣ』が今回スタローン自身の手によって再編集が行われ、劇場で再公開すると聞いたので慌てて劇場に駆けつけました。まずは観た感想を率直に話すと
再編集によってスタローンが伝えたかったメッセージは僕には読み取れなかったし、また、オリジナルの『ロッキーⅣ』が作品性はともかくエンターテイメントとしていかに優れた構成をしていたのかが再確認できました。
以前からスタローン自身も『ロッキーⅣ』については度々後悔の念を表明していて、再編集するとしたらここは切られるだろうなと思ったところはすべて切られていました。僕が作品を観る前から切られるだろうなと予測し、そして実際に切られたシーンは以下の通り。
- オープニングのアメリカとソ連のボクシンググローブの衝突&爆破
- ロボットのシーン
- アポロの試合前のジェームズ・ブラウンのショー
今回はこれらのシーンを軸にレビューを行っていきます。
アメリカとソ連
『ロッキーⅣ』は東西冷戦の影響をものすごく受けていて、ソ連を徹底的に悪者として描いています。再編集を行うと聞いたとき、まず「ソ連の描写はマイルドになるだろうな」と思ったのですが、やはりその通りでした。
僕を含めて『ロッキーⅣ』が好きな人の多くは恐らくこの「極度に単純化された敵」という要素が好きなはずです。東西冷戦真っ只中の1980年代中盤だからこそできた単純化された敵の描写はエンターテイメント映画を作る上では重要な要素です。しかし昨今の映画は「敵にも悪に染まらなければいけなかった事情があるのだ」と敵側の心情を描く必要が出てきて、単純にスカッとできる映画がポリコレ的にも作りづらくあるのです。
今回の再編集で冒頭のアメリカとソ連の国旗が描かれたボクシンググローブが激しく衝突するシーンがカットされたのを始め、ドラゴの人間的な描写も多く追加されていました。オリジナル版ではほとんど喋らなかったドラゴも今回のバージョンではそこそこ喋るようになり、またアポロとの試合ではあまりにも華美なアメリカのエキシビジョンマッチに困惑する様子が映し出されます。そして試合中にはアポロを挑発するような素振りを見せます。
ただこのドラゴの人間性の描写が作品のクオリティアップに寄与しているかといえばそうではありません。オリジナル版ではほとんど喋らず、劇中唯一と言ってもいいほどのセリフはロッキーとのラストバトルで政府の高官から「早くロッキーを倒せ!」と言われ「俺は自分のために戦う!」と返すところ。今までセリフもなければ人間性もほとんど見えなかった彼が「自分のために戦う!」と叫ぶからこそ観客は「彼もまたソ連という政府に操られた悲しきアスリートであり、それがロッキーとの戦いで本来の人間性を取り戻したのだ」という奥行きを感じられたのです。
ロボットとポーリー
スタローン本人も事あるごとに「ロボットのシーンは余計だった」と言っていて、今回見事に全カットされてしまったのですが、カットしたらカットしたでロボットのシーンがいかに『ロッキーⅣ』において重要なシークエンスだったかが分かります。
まずロボットをポーリーに買い与えることでロッキー自身が成金が故にしょうもないガラクタにお金を費やしてしまうキャラクター性が出てきますし、最初は文句を言っていたポーリーも結局はロボットを使いこなしてしまうところでなんとも憎めないキャラクターを描けています。
『ロッキーⅣ』においてはロボットとポーリーがほぼ全編にわたってセットで登場するため、ロボットを切ろうと思うと必然的にポーリーの登場頻度も少なくなってしまうのですが、そうなると最後にポーリーがドラゴに挑むロッキーに「お前みたいになりたい」とポツリというシーンが全く際立たなくなってしまうのです。
映画の前半でロボットに絡んで散々テキトーなことばかりやってきた描写があるからこそ、最後に急に真面目な顔をしてロッキーに感謝の念をつぶやくからこそ、そのシーンが引き立つわけですよ。それでいて「ポーリー自身もまたロッキーがドラゴとの戦いで死んでしまうかもしれないと感づいている」と分かるのです。
アポロの試合前
アポロがエキシビジョンでありながらも数年ぶりに試合をするということでジェームズ・ブラウンを呼んでショーを行うシーン。僕も初めて観たときは「なんだこのストーリーと関係ないシーンは。しかも長いし」と困惑しました。ただ再編集版を観てみるとその意義がありありと伝わってきます。
このJBのシーンの直前、ロッキーはアポロに控室で「お前じゃ勝てないんじゃないのか? 俺は試合は辞めといたほうが良いと思うけどな」と諭すのですが、それに対してアポロは「俺が復活する唯一のチャンスなんだ」と真剣な顔で突っぱねます。それがわずか数分後にノリノリな顔でジェームズ・ブラウンの曲に合わせて踊りまくるアポロが登場。あまりの落差に思わずクスッとしてしまいます。
元々アポロはお調子者で、それが引退によって世間の関心を失ってしまったことに耐えられなかったんですよね。この過剰とも言えるJBのシーンで「本来アポロはお調子者」「アポロがいかにカムバックしたがっているのか」が伝わります。そして散々JBで尺を使っておきながら試合ではあっという間に倒されしまうところに悲劇性が生まれるのです。
フリとオチ
こうやってみると『ロッキーⅣ』がエンターテイメント映画として、いかにフリとオチをしっかりと決めてきているかが分かります。
ドラゴは劇中ほとんど喋らないからこそ、唯一喋る「自分のために戦う」で、いかに彼が高潔なファイターかが伝わる。
ポーリーは終始憎まれ口を叩くからこそ、「お前みたいになりたい」が響く。
アポロがお調子者としての姿を見せるからこそ、試合で倒されたときに悲劇性が生まれる。
今回の再編集版『ロッキーVSドラゴ』は全編で「評判の悪かったシーンを削除する代わりに未公開映像で穴を埋める」という行為にしかなっていない感じがするんですよね。ポリコレ修正版『ロッキーⅣ』にしかなっていない。
あの時代だからこそできた純粋なエンターテイメントがポリコレで見事に薄められていて非常にガッカリでした。